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Channel: まほろば自然博物館
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アジサイに 心の渇きを ぬぐわれる

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 さぬき市地方は気圧の谷や上空の寒気の影響で雲が広がりやすく、雨の降る所がある見込みらしい。昼過ぎからは雷を伴う所もあるらしい。気温は21度から27度、湿度は96%から71%、風は1mから3mの南の風が少しばかり。明日の24日は、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がりやすい見込みなのだとか。

 

 今日も梅雨空で曇ったまんま。雨は降って来そうにはない。今日は恒例の火曜日だからお役目のある日。我が家から南に進んで、東かがわ市五名(ごみょう)地区からさぬき市多和に入って前山ダムまで下がって行った。

 

 今日もここ、さぬき市前山地区にある「おへんろ交流サロン」で「俵札の調査」が行われる。毎度のことで、耳にタコ、目にイカができるかも知れないが、初めての方用に少しだけ説明をしておく。

 

 四国遍路が回って行く霊場を札所というのには理由がある。霊場を巡拝するのに「同行二人」と書かれた札を納めて廻ったことから札所という名前になったとされている。お寺に行くことを札を打つというのも同様で、年月日、住所、氏名を書いた板(昔は紙が貴重品だったから板を使った)をお寺に打ち付けたもの。現在は紙札になってしまったが、古くは板や金属の板の札もあった。

 

 現在、最古の納め札とされているものが、愛媛県の四国霊場八十八ケ所第58番札所円明寺に残る銅板製の納め札で、江戸時代初期の慶安3年(1650)のものである。奉納者は伊勢国三宅郡出身で江戸日本橋材木町に住み、京都に移って明暦元年(1655)死亡した。この銅板の納め札は西国から、板東、秩父、六十六都廻国のあとに四国遍路に出た時のもの。「四国仲遍路同行二人 今月今日平人家次」と書かれている。この銅板の納め札は四国遍路納め札では唯一のもの。この納め札を発見したのは、大正時代に四国遍路の旅をしていたアメリカ人教授スタール博士であった。

 

 で、私たちも、そのようなお宝が混じっていないだろうかと、こうして毎週火曜日の午前中には集まって作業をやっているのである。とにかく、紙は貴重品であったようで、あらゆる紙類を集めていたようである。それを小型の俵に詰めて保管されていたので、「俵札」と呼ばれている。

 

 その中から、「納め札」だけを探し出して整理をしている最中である。

 

 お守り札だとか、伊勢暦、護符、掛け軸、借用書、会合の記録などという、あらゆる紙が渾然一体となって保管されてきたらしい。その中から、今は「納め札」だけを抽出している。

 

 一方、私はというと、会長さんの指示の元で「ホームページ担当」ということで、「おへんろつかさの会公式ホームページ」を更新する作業をやっている。今日は、「お問い合わせフォーム」の設定なんだが、これがまぁ、なんともうまくいかない。簡単なマニュアルしかないので、何をどうすればいいのかがわからない。それで悪戦苦闘をやっておった訳だ。普通のメールは飛んで来るのに、このフォームからのメールが届かない。

 

 ホームページビルダーという、ホームページ作成用のソフトなんだが、その最新版の19から、本来のビルダーを「クラシック版」とし、簡易操作でHPが開設できる「SP版」というのがついてきた。会長さんが、「これでやれ」というので、「SP版」で開設したのだが、簡易版だけに操作が少ないから身動きがとれない。

 

 これからの問題として、会員専用ページを開いて、そこで周知や案内をして、電子メールで参加人数を把握したり、意向調査などもやりたいのだという。今日はそんなことをやっていた訳だ。だが、いつまでも、SP版だけでは対応しきれないのではないのかなぁと心配になってきたところ。

 

 OA推進課だのINS推進課だのというIT部門の先端を走ってきたけれど、今となっては時代革新の波に遭難してしまいそう。

 

 今日も無性に眠たくなって、30分ほどの昼寝をしてしまった。アルコールを呑まなくなって熟睡できなくなっているのだろうか。先月あたりにはこんなことはなかったのに。やたらとお昼からは眠たくなってしまう。

 

 今日の掲示板はこれ。「あなたでなければできない仕事があるのです」というもの。これまた、誰の言葉かはわからない。それはそれとして、世の中にはいろんな人がいるもの。自分とは意見の合わない人、そもそも価値観の違う人、逆にとても気の合う人…。しかし、それは所詮「自分」という色メガネでもって分類しただけのことなのである。「その人にはその人にしかできないその時の役割がある」。自分や相手が位置するポジションには必然や偶然もあることだろう。代わりの人だっていくらでも居るかもしれない。でもその役割は、その人でなければなし得なかった…。そういう時と場合がある。人生は、そういうことの積み上げであるし、その繰り返しであった。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。 


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