丸亀地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は27度から34度、湿度は92%から62%、風は1mから3mの西北西の風が少しばかり。明日の2日は、引き続き高気圧に覆われて晴れるけれど、湿った空気や日射の影響で雲の広がる時がある見込みらしい。
今日は、善通寺からこのしわく広島へ中学生の一団がやって来るというので、朝から、歴史教室の資料の総整理をやっていた。中学生に幕末の歴史を語る・・というても、何を、どう話せばいいものか・・・と。
でも、これも2ヶ月も前からやっているもので、半ば、飽きてきてしまっている。で、この画面を立ち上げたり、閉じたりの連続で作業は少しも進んではいない。で、結局の薬局で、「成り行き任せ」にしてしまう・・・。それじゃダメじゃん、春風亭昇太。
で、小学生12名、引率教諭3名の15名さま、ご到着。島に着いたのは10時過ぎ、その後、島にある唯一の民宿でお昼を食べて、13時にやってきた。ここは、広島コミュニティーセンターの大広間。お出迎えの「みちこ先生」のご挨拶があって会は始まった。
連合自治会長さんのご挨拶もあったりして会は始まったのだが、これは何の会なんだか良くわからない。夏休みの「野外学習」の一環らしい。せっかく、この広島に来たのだから、この島の歴史も知って欲しい・・・みたいなことだろうか。
で、「島の歴史なら、このおっさんは面白いお話をしてくれるから・・・」と言うのだけれど、そんなに面白いお話をするようなことでもない。島の歴史を面白おかしく・・・と言われても、下手なジョークを入れると「さむぅぅ・・・」と言われかねないので、慎重になってしまう。
ま、咸臨丸のお話やら英国士官レキの話しやら開陽丸から古川庄八、古川阪次郎のお話までを1時間ちょっとでお話をするのだからややこしいことだ。中学生には少しばかり混乱してしまったかも・・・。
その後、20年前にこの広島中学校で演じられた「レキの墓物語」を、善通寺の中学生が読み合わせをしてくれた。この台本を書いた「山地先生」という方が、これらの中学生の担任で、そのご縁で、ここにやってきたものらしい。この子が上手なんだ・・・。
この黒いシャツの方が、その山地先生。だとしたら、新任早々でこの島にやってきたのかしらん。20年前の台本を、この場で再演するのだから・・。真ん中のおばちゃんは島のおばちゃんだが、レキのお墓にお花を入れ続けている奇特なお方なのである。
そのこどもたちの読み合わせが終わると解散になって、私は急遽、帰ることにした。16時45分だかの高速艇「ニュービサン」に乗って島を後にした。弟たちが親父の命日にお参りに来るのに、本家の当主が不在・・・というのもサマにならないではないか。ましてや、坊さんが不在・・というのも格好にならない。
その高速艇の中で、ふと、車の鍵がないことに気が付いた。ズボンのポケット、手提げ鞄の中、リュックサックの中を手探りで探すがない・・・。島の家に忘れてきたんやろうか・・。焦る、アセる・・・。まさか、リュックサックをひっくり返して探す訳にもいかぬ。高速艇を下りてから、駐車場の物陰で探す、探す・・・。ようやく薬袋に中にあるのを見つけて一安心。
で、高速(高松自動車道)を珍しく使って(普段には高速なんぞは使わない)帰宅。
そして、ようやく間に合ってまんまんだぶつ。焦った、焦った・・・。
で、二男・三男と私ら夫婦の四人で親父の命日のおときになったのだが、最後の最後まで、親父の話はこれっぽちも出なかった。45年も経てば、親父の影も薄くなってしまうものだ。
で、二人はそのままお泊まりになった。ということで、この日も永い永い一日になったことだった。
今日の掲示板はこれ。「カメはウサギにはなれないが、日本一のカメにはなれる」というもの。「一番はもちろん尊い。しかし一番よりも尊いビリだってある」。生涯を初等教育に捧げた東井義雄先生の言葉である。先生は師範学校に入学後、マラソン部に所属し、四年間もビリを走り続けた人である。いつも、走りながら考えた事は、「ウサギとカメ」の話だったという。「カメはウサギにはなれないが、日本一のカメにはなれる。俺はビリから逃れる事は出来なくても、日本一のビリになれるはずだ。ビリであることは恥ずかしい事ではない。怠ける事の方がよっぽど恥ずかしい」と書いてあった。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。