さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、午後は大気の状態が不安定となるため、雨や雷雨となる所があるらしい。気温は24度から34度、湿度は92%から66%、風は2mから3mの北北東の風が少しばかり。明日の6日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れるけれど、午後は大気の状態が不安定となるため、雨や雷雨となる所がある見込みらしい。
さて、夏休み恒例の資料館巡りは、香川県西部の観音寺市豊浜町まで飛んで、「豊浜郷土資料館」を目指した。元は旧三豊郡豊浜町の歴史文化、産業、そして農業と生活文化を映像や実物資料等により紹介、展示している施設だった。隣の「ちょうさ会館」とともに、平成の大合併によって、観音寺市に移管されている。また、讃岐三白の一つである「綿」をテーマとした映像、体験コーナー等で、あたたかい綿の世界も体験できる。
ここに着いたのが9時前だったのだが、「さぬき市からやって来た」と言ったら、9時半開館の施設を9時前に開けて説明をしてくださった。
ここは、「Cotton Museum」ということで、綿の体験実習もやらせてもらえる。コットンボールから種を取り、綿を打ち、糸繰りして糸に紡ぎ、その糸を染め、織物を作る工程などを体験できるらしい。私も少しばかりコットンボールで遊ばせていただいた。
観音寺市豊浜町の関谷地区は、古くから『わた』に縁の深いところだった。最盛期には、この地域だけで20数社の製綿所が軒を連ねて営業していた。今でも、綿神社、綿廻船の関谷港、大正ロマン漂う製綿事務所跡などが、往時をしのばせている。そもそもは、水の少ない讃岐の地では稲が作りにくかったことから、水を必要としない綿作りが行われたのだという。本当は木偏の「棉(わた)」という字なのだが、人が手を掛けると、糸偏の「綿」になるのだという話が印象的だった。
綿の花は、一日目は白かクリーム色で、二日目にはピンクになるのだという。そして、三日目からはコットンボールができはじめるのだという。
そこから海岸線を東へと走り、多度津町の「多度津町立資料館」にやってきた。ここは、夏休み恒例の「戦争資料展」をやっている。
戦後70年、戦争も風化してきたし、語り部も高齢化で少なくなった。小学生が数人いたが、ここに展示をしてある品物を見てもちんぷんかんぷんのようで、ほとんど興味を示さない。宇宙戦艦ヤマトやコミックなんぞの戦闘シーンのような派手さがないので、まるで骨董品かゴミでも見るような冷淡さ。そのお母さんだって、こういうものを見ても分からない・・・。
お母さんだって、まだ、30歳台なんだろうから、こんなものを見せられても、何がなんだかわからない。なんで、こんなものを使うのか・・・と言う意味すらわからない。
正面の桶。「これで火事を消す」と話したら、「消火器をなんで使わないの」という。昭和は遠くなりにけり。戦争は風化するばかり。かく言う私だって「戦争を知らない子供たち」だった。
今日のメインはここ。丸亀市立資料館。丸亀城内にある。
丸亀が生んだ勤王の志士、土肥大作を取り上げた展示会である。脇差しとか、印籠とか、焼き物とかもあったが、多くは書や歌などの軸ものが多い。その頃の、「勤王の志士」と言われても、全く知らない人ばっかり・・・。
たまたま、このお店の前を通りかかったら、車の数もお客さんも少なかったので入ってみた。この暑いのに、並んでまではおうどんを食べたくはない。ここは、丸亀市飯野町という地区にある「飯野屋」という一般店。
甘辛く煮た牛肉とうどんの相性の良さは、誰もが認める黄金コンビ。その絶妙なバランスを極めた飯野屋の肉うどんこそが、「肉うどん食べに飯野屋行くか!」と言わせる看板メニューとして知られている。ありきたりの薄切りタイプではなく、秘伝のだしでじっくり煮た厚み・大きさともボリューム満点とかみ応えのある牛肉。しかも、大ぶりな肉とモチっとした麺の食感が個々の存在感を発揮しつつも、互いに主張しすぎることなくひとつの美味となって口中に広がる様は、何度食べてもおいしいと思う。
いよいよ明日が八月六日。今日の掲示板は決まってこれ。「忘れざることが供養や原爆忌」というもの。原爆を、被爆を、戦争体験を、風化させることなく伝えていくことこそが、先人への礼儀であり、供養であるというのである。今年で70回目の原爆の日、私の記憶も風化しつつあるが、若い頃の広島の暑い一日を改めて思い出しながら黙祷をしたいものである。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。