さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、雨や雷雨となっている所があった。気温は24度から33度、朝方は肌寒さを覚えたものだった。湿度は90%から54%、風は1mから4mの北北西の風が少しばかり。明日の15日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。
昨夜はいきなり激しい雨が降ったり雷鳴が轟いたりと賑やかなことだった。そのたんびに窓を閉めたり開けたり、洗濯物を取り込んだり広げたり・・・。
そうそう、昨夜は奥方と二人でひっそりとお盆勤めをしたことだった。
さて、恒例の資料館巡りはここになった。さぬき市志度にある「平賀源内記念館」である。現在の志度(旧志度町)で生まれた江戸時代の奇才、平賀源内は発明の才に富み、洒脱の気風があり、エレキテルの復元、本草学の著書、戯作浄瑠璃を発表したり、西洋画や源内焼を広めたりと天才的な業績を残している。
その源内が残した発明品や著作は、「平賀源内記念館」に陳列されている。この記念館は、これまで源内に関する資料を展示していた平賀源内先生遺品館が手狭であったことから、近隣にあった旧銀行の建物を改装し、名称を変え、平成21年3月に移転・新装オープンしたものである。
展示されているものは貴重なもの(当然だが)のようで、「撮影禁止」である。
これが、ぜひとも見ておきたかった「物類品隲(ひんしつ)」である。でも、手の届かないショーケースの中にある。
この本の中に、この絵の「原画」があるので、どうしても見たいものである。
が、ここでは、このページは開いていなかった。
一般の方は、どうしても、「平賀源内」と言えば「エレキテル」ということになるらしい。このおじさんが操作しているのが、そのエレキテルで、蛍光灯が一瞬だけピカリと光る・・・。
で、500円の入館料を支払うと、記念館と、この、源内先生旧宅と薬草園の入園料金がセットになっている。本来は、こちらが、「平賀源内遺品館」だった。
最初の頃は、この「遺品館」で展示が行われていたのだが、資料が多くなりすぎて、次には、隣の「生家跡」が資料館になっていた。薬草園もその頃から整備されていた。それが、近年になって、新しく「記念館」として再スタートした。
源内は妹にこの家を任せ、妹は婿と一緒に「酢屋」を始めたらしい。その作業場が生家の土間として残されており、それらを一時保管した蔵があったが、その蔵の跡を後世になって薬草園にしたらしい。
生家脇に立つ平賀源内の銅像である。作は「小倉右一郎」。
源内さんのお墓は、四国霊場86番札所志度寺門前の「自性院」の境内にある。
今日の掲示板はこれ。「千万(ちよろず)のいのちの上にさづかれし 平らけき世を生くる悲しさ」という大谷嬉子元西本願寺お裏方さまのお歌から。
「海をよごし
川をよごし
空をよごし
あさましい人間
然し地球は
このあさましい人間を抱いて
悠悠自転している」
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。