さぬき市地方は四国付近に停滞する前線の影響で雨が降りやすく、雷を伴う所があるらしい。気温は22度から25度、湿度は97%から86%、降雨量はお昼前に1mm~4mm/hの少量の雨が少し。風は1mから2mの東北東の風が少しばかり。明日の9月1日は、山陰沖に停滞する前線や低気圧の影響で雨が降りやすく、雷を伴う所がある見込みらしい。
で、朝から雨・・・。子供の頃は雨だろうが雪だろうが楽しくて楽しくて学校に走って行ったものだけれど、今は全く、そんな元気も勇気も覇気もない。若い頃には、「工事屋殺すに刃物は要らぬ、雨の三日も降ればいい」なんて言われたものだが、昭和の後半くらいだろうか、「雨具があるんだから仕事に行かんかい・・・」と言われ出して、雨の日も風の日も雪の降る日も、毎日毎日仕事に追い出された。
こんな雨の日には、電話線に木の枝や竹の枝が倒れかかって混線や断線や「地気」が出た。電話線にだって電流が流れていて電圧がかかっていたから、下手に電話線に触ると、目から火花が出て地面に叩きつけられた。雪の日はもっと悲惨だった。昔の電話線というのは「硬銅線」というハリガネだったのだ。だから、雨の日も雪の日も、私には「厄日」に見えた。今もそうかも知れない。
だから、「晴耕雨読」が一番だと、最近はパソコン三昧になる。今日は、重い腰を上げて、「十年日記」にチャレンジしていた。
毎日毎日、こうしてブログをつけていると、「昨年の今頃は何をやっていたんだろう・・」と思ったりする。「一昨年の今頃には何をやっていたんだろう・・」と考えたりする。それだから、毎年の主立ったことをメモしてある。横軸が年数で、縦軸が月日である。それが十年分である。
この十年日記を、ブログを参考にして、空白部分を埋める作業である。この基礎データは、毎年のダイアリーを参考にして入力してあるから、普通の日には何も記載がない。記載がないと言うても、生きていたのだから、何かを食べて何かをするためにどこかに行った筈。それをブログから探し出して埋めて行こうとしている。今日は、2012年の10月までの修正が終わった。
本当ならば、こうしたものに、きちんと整理をしておけばいいのだろうけれど、そこまでの「几帳面さ」はない。また、そうして残しても誰も見たりはしないのだ。だから、電子的にエクセル・シートで10年メモを残そうとしているだけだ。
わが家の「ごん」は、おばあさんにお座敷で飼われていたので、雨や音が大嫌い。そのおばあさんが亡くなって処分されるところを、わが家にもらわれてきたものだから、雨も雪も大嫌いだし、雷や花火が鳴ったら半狂乱で恐怖に泣き叫ぶ。だから、サルやイノシシには無抵抗だし、それらが近くに居ると身動きもしないで軒の下や車の下に隠れて動こうともしない。番犬にもならず、何の役にも立たない。だから「迷犬ごん」なのである。今日も雨の日はいやだといって散歩にも行かない。だから、私のストレスはたまる一方だ。
収穫間近な水田では、昨日今日の連続の雨でばっさりと倒れてしまっていた。これを業界用語(?)で「倒伏」と言う。とんだときの秋雨ではある。だから、このあたりでは、お盆過ぎには一斉に稲刈りをやってしまう。台風や秋雨がやってこない間に刈り取ってしまうためである。
今日は月曜日と言うことで、ほとんどの図書館や資料館・博物館や美術館がお休み。それだし、昨日まであたりで企画展とか展示物が交代する時期に当たっている。夏休みの終わりは、資料館や博物館の展示の終了時期にもなる。そして、しばらくのお休みというか、交代時期があって、今度は「秋の展示」に切り替わる。そんなで、私の活動も「端境(はざかい)時期」になる。
山の植物たちも、夏の生き物から秋の植物へと移り変わっていく。わが家も三方が窓という涼しい「白い部屋」から二方が窓の暖かい「黒い部屋」へと布団を移した。白い部屋だと朝方が寒くて仕方がなくなったからである。それだし、夏場はシャワーだけで済んでいたお風呂も、今夜からは普通の湯船のお風呂に戻った。確かに、夏から秋へと移行している。
今日の掲示板はこれ。「秋はまた 四方の紅葉を眺めても いずれ散りゆく我が身思わず」というもの。どこの誰の歌かはわからない。やがてまた、大きな望遠レンズを装着したおじさんたちが三脚を抱えて名勝地や景勝地を走り回る頃となる。あそこの萩がきれいだと言えばすぐにでも飛んでいく。あそこの菊花展がいいぞと言えば、一斉に飛んでいく。根香寺の紅葉だ、白峯寺の紅葉だ、大窪寺の紅葉だと走り回ってはいるものの、「いずれは散って行く自分の命のことは考えてみないのか」と、この作者はいうているのである。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。