朝方は秋晴れのいい天気で、気温も9度から17度になったので布団を干したが、午後からは曇り空になったので、早々に布団を片付けた。
昨日・今日あたりは「文化の日」ということで、各地で文化祭なんぞが行われた様子。我が町のことはまるで知らないのだが、どんなだったんだろうか・・・。
ということで、今日はほぼ一日、パソコンの前での編集作業になった。例の「二十四輩」調査の結果報告書の作成である。
で、ようやくに基本部分はできあがった。およそ、40ページ程度の冊子になる。今後は、これらの調査から考えたこと、感じたことなどを論文にまとめたいと考えている。ま、基礎調査が終わった・・・というところ。
今日のお昼はここになった。さぬき市津田の「羽立:はりゅう」という一般店だが、ほぼセルフ形式のようだし、お値段もその程度。ただ、天ぷらものを注文すると、少しばかりお値段するようになる。
で、さっそくに「冬季限定・しっぽくうどんの小」。これで400円。少しばかり値上げしたのかな・・・。里芋・にんじん・大根・こんにゃく・鶏肉・・・くらいだったかな。ここも肝心のおうどんが見えない。
お店の中はこんな風で、全席カウンター席。ここから注文して、ここの高い所におうどんが出てくる。食べ終われば、この上のカウンターに戻してお会計。店員さんはまず、カウンターからは出てこない。
午後からも編集作業続行・・・。でも、全くの計画なしの企画なしの行き当たりばったりのこのミッション。どうにか、本の形になったけれど、これからどうしたいのかが見えてこないところがかなしい・・・。
とりあえずは、讃岐における二十四輩遺跡の実態は把握できた。これから見えてくるものは何かを考えてみる。俗にいう「写し霊場」としての「二十四輩巡拝遺跡」。それが流行だったのか、やむにやまれぬ信仰心だったのか・・・。
江戸時代後期から、四国地方では「四国遍路」というものが流行した。いわゆる「四国霊場八十八カ所巡礼」。それに合わせるように「西国三十三観音巡礼」とか小豆島八十八カ所巡礼」とか「淡路島三十三カ所巡礼」などというものが流行して各地に札所が造られた。
親鸞聖人を慕う人たちは、はるばると関東二十四輩巡拝には行けずとも、近くにそうした遺跡を造ってお参りすることでありがたがったのだろう。二十四輩さんと並ぶようにしてある「善光寺さん」もまた、そうした「写し霊場」だったに違いない。
明日の香川は雨になるらしい・・。明日も編集作業で明け暮れるのかも知れない。
今日の掲示板はこれ。「生命の尊さ 生きる場所が そこにもあるか 屋根の草」 最近の屋根に草が生えているのを見かけることは少なくなったが、茅葺き・藁葺き・草葺きの屋根にはよく野草の種が住み着いて、緑の命を芽吹かせていた。瓦屋根にだって、草やシダ類がしがみつくように育っていたもの。そんな所にでも生きる場所があるのか・・という実感。最近は、アスファルトの道路やコンクリートの道路に息づいていたダイコンや野菜が有名になって「ど根性ダイコン」などとニュースになった。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。