さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、お昼からは気圧の谷や寒気の影響で雲の広がっている所があった。気温は14度から18度、湿度は85%から64%、風は1mから3mの北北東の風がすこしばかり。明日の22日は、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、夕方からは雨の降る所がある見込みらしい。
さて、例の「まちぶら探検隊」の最終回。いつものコトデン志度駅前に9時過ぎに集合。9時半に出発。今回は14名の参加者に、事務局が3名と私と市の職員の19名での探検隊である。
マイクロバスで津田の松原に移動して、およそ1時間で松原内を歩いて回る。ここには、こうした「根上がり松」があちらこちらにあるので有名。有名と言っても、最近はあんまり知る人もいなくなった。趣味の多様化とか遊びの変化とかで、海水浴場での海水浴というのも減った。それも、7月の10日から8月の15日の一ヶ月間だけだから、この松原の中を歩く人は地元の人くらいなもの。昭和中期、戦中戦後から30年40年代が最盛期だったような気がする。
で、今回は用意したこのパンフレットをお渡しした。
今回は女性の方が多く、リピーターさんが多いのだという。つまりは、「まちぶら探検隊」の常連さんらしい。
今回は、この大社(おおこそ)さんのお話も加えたので、松原探検が時間ぎりぎりになって、津田八幡宮のガイドが中途半端になってしまった。
次の大川町の「みろく石穴」も、もっと、ロマンとか情熱とかをお話したかったのだが、なんとなく、事実の説明になってしまったのが惜しかった。お昼時間が妙に頭をよぎるからだった。
今日もお昼は、さぬき市末という地区にある「田舎カフェ樹樹」。あの「ベーハ小屋」をリニューアルしたカフェである。
で、お昼は「スペシャル・メニュー」とのこと。ここのオムライスもおいしい。
で、ケーキとホットコーヒー。お飲み物は紅茶とかジュースとか・・。ちょうど、1時間のランチタイム。
今回は、参加者の皆さんと一緒のお食事になった。
食後は「気分がいいから・・」ということで、歩いて10分ほどの所にある「霊芝寺」へ。
これが、高松松平藩第二代目藩主、常公の墓所。ここは撮影禁止というか、撮影許可を取っていないため、ネット画像から。頼常の墓碑銘は「故四位少将南嶺源節公之墓」、頼恕の墓碑銘は「故正四位下中将南溟源愨公之墓」と刻まれている。
ま、こういう雰囲気での拝観になる。ここは普段は施錠されていて立ち入ることはできないところである。
これが、その霊芝寺さんである。宗派は高野山真言宗。山号は日内山(ひうちざん)。本尊は十一面観世音菩薩。さぬき三十三観音霊場第十番札所でもある。
最後は、さぬき市立神前(かんざき)小学校での「真嶋正市先生」のお勉強。予定通り、5時間のまちぶら探検隊は終わって、私のお役目もおしまい。
今日の掲示板はこれ。「歩き続けていれば、思いもよらぬときに蹴つまずくものだ。歩かずにじっと座ったままで蹴つまずいた人を見たことがない。」というチャールズ・ケタリング」さんの言葉から。チャールズ・フランクリン・ケタリング(Charles Franklin Kettering は、アメリカ合衆国オハイオ州、ラウドンビル生まれの、農民、教員、メカニック、エンジニア、科学者、発明家、社会哲学家である。今日も松原の中で松の根につまずいた人がいたが、歩いて居れば、生きていれば、思いもよらぬときに蹴つまずくものだ。蹴つまずいたら起き上がればいいだけのこと。蹴つまずくのを恐れてじっと座ったままでは生きていけない。
じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。