さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は3度から8度、湿度は75%から62%、風は2mから4mの北北西の風が少しばかり。明日の19日は高気圧に覆われて、概ね晴れる見込みらしい。
一昨年から始まった防災工事が一段落したと思ったら、今度は、その続きでまたも工事が始まっている。このカーブがきついから、ゆるめにするんだろうか・・・。ともかく、賑やかなことだ。
高松では、梅の花が咲いたというし、椿も開花したというし、昨日はタンポポが咲いたというていたが、わが家では今期初めての霜の朝になっていた。まだ、氷が張るところまでには至っていない。
山からの落ち葉がハラハラと落ちてくる。奥方が拾っても拾っても落ちてくる。放っておけば風のブロアできれいにしてくれそうなのに。
胆振(いぶり)という国があったらしい。胆振国は、戊辰戦争(函館戦争)終結直後に制定された日本の地方区分の国の一つであるらしい。制定当初は膽振國とも表記された。国名の由来は、斉明天皇のころ阿倍臣が胆振鉏(いぶりさえ)の蝦夷(えみし)たちを饗応したという故事にちなむ。道南から道央にかけての地域に位置し、現在の胆振総合振興局管内の全域、渡島総合振興局管内の長万部と八雲町のうち旧熊石町を除く部分、後志総合振興局管内の虻田郡、石狩振興局管内の千歳市、恵庭市、上川総合振興局管内の占冠村にあたるという。そういう所からも四国遍路に来ていたものらしい。
北海道には、北の護りのために、讃岐各地から二男三男たちが移住したという。そのために、お寺の二男三男たちも移住して開教したという苦難の歴史も学んだことだった。その時の常備薬がこれだった。
ロシアを征伐するという勇ましい名前の薬だった。
平和な時代になると、「征」の字が「正」に代わったけれど、当時の進軍ラッパはそのまま残されている。ま、そういうこともあってか、北海道からも四国遍路にやってきたし、近年には「北海道八十八ヶ所」が造られているそうな。
これはさすがに「歩き遍路」はできんじゃろ・・・。
さすがに肩が張ってきたようなので、今日は温泉に浸かってきた。東かがわ市入野山という山中にある温泉である。ときおり、お遍路さんも入るというが、お客さんの中には、阿波弁の方が多いのも特徴かも。
お風呂に浸かって、マッサージ機で肩や背中をマッサージしてもらった。どうにも左肩や左腕が重く感じる。目も疲れているみたい。ま、ここんところ、パソコン三昧だということもある。
ここの温泉(冷泉)は、このあたりではわりと有名で、お遍路さんにお接待するのに、桶で、この冷泉を汲んで運んで、お風呂に入れたという。でも、まぁ、一回や二回では、簡単には肩こりは治らない。
「前門の虎、後門の狼」という言葉があるが、昨日は家の前側で野菜をサルの軍団に食べられたが、今日は家の裏側で、カラスが生ゴミ置き場をひっくり返して、あたりは生ゴミのオンパレード・・・。その片付けで30分ほどもかかってしまった。前の猿も追わないといけないし、裏側のカラス退治もしないといけない・・。あら、ややこしや、ややこしや・・・。
今日の掲示板はこれ。「徒(いたず)らに 過ぎし月日の しのばれて 殊更をしき 年の暮かな」という、新渡戸稲造先生の言葉から。いよいよ今年も終わろうとしているが、過ぎ去ったこの一年に何をすることができたかと静かに振り返ってみると、昨年と同じく、やはり後悔すべきことが多い のではないだろうか。しかし、悔いることは改めることのはじめなので、来年の暮れには、まさか同じ後悔をすることはないとは思うのだけれど、極悪非道のこ の身であるから、来年も又、同じような後悔をしているのかも知れない。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。