さぬき市地方は気圧の谷や寒気の影響で瀬戸内側を中心に雲の広がっていた。気温は10度から12度、湿度は88%から53%、風は1mから5mの北西の風が少しばかり。明日の26日は、高気圧に覆われて午前中は晴れるが、午後からは寒気や湿った空気の影響で雲の広がる時があるらしい。
空は雲が多かったが、気温は暖かく、風もないので気持ちのいい朝だった。庭木の剪定が残っていたが、今朝方の雨でしっとりとぬれていて、剪定をしたら、全身、濡れ鼠になりそうなのでやめた・・・。
で、またしてもここにやってきた。高松市亀水(たるみ)町にある、瀬戸内海歴史民俗資料館、通称「歴民:れきみん」である。瀬戸内海を俯瞰する五色台の小高い丘に向かう稜線に、石積みと打ち放しコンクリートで構築された秘密基地のような山本忠司氏によるこの作品 は、香川でアトリエを持つことになる芸術家イサム・ノグチ氏とのインド旅行でその原型が誕生した。
城壁のように積まれた外壁の安山岩は整地のために掘り起こした石を積上げ、中庭を囲む階段で結ばれた回廊式の展示場には、中庭や壁面上部の窓からの自然光が差し込んでいる。石工事を担当 したのは、後にイサム・ノグチ氏のパートナーとして活躍する和泉正敏氏。昭和49年度日本建築学会賞(作品賞)、第1回公共建築賞優秀賞を受賞し、公共建築百選にも選定されている。
今回は、今月22日から展示が始まった、「小豆島霊場資料展」を見学にきたのである。2月6日には、おへんろつかさの会で、「れきみん講座」に参加をするのだが、一足先にやってきたもの。
これは小豆島霊場を巡拝した女性が記録した「入用帳」で、支払った代金などをこと細かく記録したものである。これは天保15年(1844)に記録されている。この小豆島霊場は江戸時代中期の貞享3年(1686)の創設と言われている。
こうした納経帳や観光絵はがき、案内地図帳なども展示されている。
島四国の里程図である。これを見ると、土淵海峡が、まさに海峡であることがわかる。世界一狭い海峡である。これは大正7年に作られたもので村ごとに色分けされ、札所番号や道筋、札所間の距離などが示されていて、巡拝が大衆化してきたことがわかる資料である。
これは第42番札所の西ノ滝で、奥の岩場が修行の場となっている。
この写真は昭和9年の島四国巡拝の様子で、子供連れで歩いている。
昨年は、空海さんが四国霊場を開創して1200年にあたるとされるなど、四国遍路が改めて注目されている。この四国遍路と同じく、霊場巡拝の場として、全行程およそ150キロメートルの小豆島霊場がある。小豆島霊場での巡拝は、江戸時代中期より盛んになり、現在まで続いてきた。この展示では、香川県立ミュージアムと「れきみん」に収蔵されている、古文書、絵図や絵葉書などの小豆島霊場についての資料を展示するとともに、現在、「れきみん」が行っている小豆島霊場の石碑調査の成果についても、その一端を紹介するとしている。
この展示会では、「納め札」が一枚も展示されていなかった。私たちの「俵札調査」では、「小豆島霊場」の納め札が数枚、発見されているので、小豆島霊場で納め札がつかわれていなかった訳ではない。
こういうものが見られなかったのが少し残念だった。
今日の掲示板はこれ。「人間とタバコは煙になって 初めて、その値打ちがわかる」という、いつもの赤松先生の所にあったもの。映画「春を背負って」の中のセリフである。山小屋の外で、亨と悟郎がくつろいでいる。悟郎がたばこを吸いながら、亨に語りかける。
悟郎:「亨ちゃん、人間とたばこの共通点って知ってるかい。」
亨:「・・・・・・・」
悟郎:「タバコも人間も煙になって初めて本当の価値がわかるんだよ。」
じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。