さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は5度から12度、湿度は82%から52%。風は2mから4mの西南西の風が少しばかり。明日の29日は引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。
今日も良い天気になったので、この前(今月20日)のリベンジ・・・ということで、高松市塩江町戸石地区に向かうことにした。あの、廃校探しの旅の続きである。「三本松 メガネのカワイ店長ブログ」に紹介されていた、あの戸石分校跡・・・である。
http://kawaimegane.blog40.fc2.com/blog-entry-2572.html
このマップを見ても場所が分かる人は少ない筈。高松市・・・・とは名ばかりの山奥の一集落にある小さな学校跡・・・。
私は、この石碑を見て、ようやくに思い出したが、こんな所に学校があったということは記憶にない。
私は、この電柱を見て、「あ・・・、来たことがある・・」と思った。
これが、その、塩江町立安原小学校戸石分校・・・跡である。左から便所、音楽室(3-4年生)と教室(1年生)。アコーディオンカーテンを開くと体育館にもなったらしい。白い建物が職員室と二階が会議室。フェンスの切れ間から入ると玄関があり、その奥に5-6年生の教室があり、最後の年の生徒数は5名だったそうだ。
その続きに「教員宿舎」があるが、近年はここで宿泊する先生はいなかったらしい。本校の安原小学校はおよそ7Km余り、車で15分程度の距離らしいが、私には遠いなぁと思った。
これは職員室側から見た教室と廊下。この学校は明治16(1883)年に開校し、平成13(2001)年に閉校し、118年の歴史を終えたそうだ。
塩江町役場(現高松市塩江支所)から南西部に細い山道のような市道をくねくねと上ってきた谷間の集落である。およそ、20世帯50人余りが住んでいる集落で、農業や林業などで生活しているらしい。
そうそう、この狛犬を調査に来たことがあるという訳だ。それも十数年昔の話である。学校のことなんぞは記憶の彼方であった。
帰り道、白鳥町立五名(ごみょう)小学校・幼稚園長野分校分園跡にも寄ってみた。犬が激しく吠え立てたので、分校跡にどなたか入居しているらしかった。ときたま、洗濯物を干してあることもある。
これが、その、記念碑である。
さらに進むと、徳島県に入り、阿波市市場町境目にあった、市場町立大影小学校・大影幼稚園跡である。ここは2000年に、市場町立大俣小学校に統合され廃校になった。
私が子供のころには、ここを通るたびに、「大影の学校はボロ学校ぉぉ~」と、大声でからかいながら走って通ったが、その頃は、木造の古い校舎だった。
隣接して、立派な体育館も残されているが、使用されている形跡はなかった。その後、白鳥町立五名小学校跡、五名小学校・五名幼稚園 鈴竹分校分園跡を見学して帰途についた。
今日の掲示板はこれ。「手を合わせ 今日もいのちをいただく」というもの。町内の下津先生のお寺にあったもの。私達は生きていくために、日常的に生き物の命を奪って食べている。切り分けられ、綺麗にならんだスーパーの鮮魚・精肉コーナーには、そこに命が宿っていたことを 忘れてしまいそうな程に、「命をいただく」というイメージから遠くなっている。そしてその結果、食べ物が粗末に扱われ、日本での1年間の食べ残し食品は、 発展途上国での、何と3300万人分の年間食料に相当するといわれているそうだ。ご飯を食べる時、手を合わせて、『いただきます』と言いうけれど、これ は生き物達への『命をいただきます』ということ。感謝のこころを失いたくないものである。
じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。