さぬき市地方は冬型の気圧配置が続くため、寒気の影響で雲が広がりやすく、昼過ぎにかけて雨や雪の降る所があった。気温は今季初の氷点下0.3度から7度、湿度は64%から56%、風は1mから6mの西南西の風が少しばかり。明日の15日は、冬型の気圧配置は緩み高気圧に覆われるため、概ね晴れる見込みらしい。
奥方は今日もケアマネ研修で、長尾寺近くの電車の乗り場まで送って行ったが、途中の山道にはうっすらと初雪が・・・。ようやく冬らしくなったかなぁと思った朝だった。
メダカの水槽にも氷が張っている。そんなに厚いものではないが、今期初めての氷である。ま、それでうれしいとか楽しいという気分にはならなかった。
二階のベランダにもうっすらと粉雪が・・・。
朝方は雨になったり、みぞれになったり、西風が強くなったりしたので、デスクワークに励むことにした。例の「俵札」のデータ整理である。田淵家の2,340件のものはほぼ完了したし、寒川家の850件のデーターもほぼ整理がついた。で、今日は飯田家の1,130件のデータを整理してみた。
県別分類、郡別分類、地方別分類、年代別分類をして、それをグラフ化して記録に残す作業である。男女別分類や季節別分類もできればやっておきたい。
うどんを食べると、「依存症だ」とか「うどんキチガイ」だとか「よく飽きないものだ」とかと言われるので、今日はこれでお昼の代用にした。コメを食べると胃の調子が悪くなるのだし・・。他人が何を食べようと干渉しないでいただけるとありがたい。
で、昨日のリベンジでやってきたのが、高松市塩江町の奥地、「上西(かみにし)地区」にある「上西中学校跡」である。これは中学校の講堂跡らしい。今は、NPO法人のボランティア・ハウスになっているらしい。
特定非営利活動法人(NPO)奥塩江交流ボランティア協会・・・が、この上西中学校跡と保育所施設を使ってさまざまな活動を行っているらしい。その名前が「モモの広場」というのらしい。
門標があるがよく見えない。「上西なんたら会館」と書いてあるらしい・・。
昭和22年5月、香山小学校の一部を仮校舎として開校した。当時の生徒数は110人であった。昭和24年3月、この地に二階建ての新校舎が落成した。同校は地域の特性を生かして産業教育に力をいれ、校庭にニジマスの養殖場を作ったり、シイタケ栽培その他農林業の研究に多大の成果をあげた。昭和38年に統合中学校ができてから講堂側の校舎は上西保育所が使用し、本館のほうはしばらくそのままにしていたが、昭和42年東山茶業組合に売却し茶工場となった。しかし同年9月10日の火災のため、講堂の一部を残して茶工場は全焼した。
昭和29年4月、香山小学校内に上西幼稚園を併設した。学級数は一クラスだった。その後、地区住民の強い要望により昭和31年4月に西山小学校内に西山分園、東山小学校内に東山分園を設置した。昭和37年5月からスクールバスを運行して分園の園児を本園に収容し同年9月に上西保育所と改組して上西幼稚園は廃園となった。(塩江町史より)
ここがNPO法人の集会場で、音楽会やうたごえ、映画会などが行われるらしい。
今日の掲示板はこれ。「けさ 目がさめたらまっさらの命 今日もキラキラ」というもの。時間がまだあると思うからこそ、今じゃなくてもいいと思ったりする。今度、またにすればいいやと思ったりする。でも、私たちには肉体の期限はある。明日、 事故で肉体を失うことだって、ありうるのだ。ところが、私たちは永遠の命だと信じ込んでいる。だから、またにすればいいと思うのは、本当は 自然なことなのかもしれない。今朝目覚めたら、空気感がまるで違った。冬らしいさわやかな朝だった。まっさらな命をかかえた朝だった。今日もキラキラとした朝だなぁと実感する冬の朝を迎えていた。
じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。