さぬき市地方は南海上の低気圧の影響で、強い寒気が流れ込むため雲が広がり、夕方からは雪や雨の降る所があるらしい。気温は10度から12度とまり。湿度は94%から68%、風は2mから7mの西の風が強かった。明日の19日は、強い冬型の気圧配置となるため引き続き雲が広がり、雪や雨の降る所があるらしい。時に雷を伴う所もある見込みなんだとか。
朝から雨になっていた。テレビでは各地で雪になったらしく、交通事故やら渋滞やら、電車などが動かないとか遅れるとかと大騒ぎになっているらしい。讃岐でも昨年は雪になったらしいが、今年は雨だ。
昨夜、年賀状を調べたけれど、160枚も年賀状があっても、切手シートの1枚も当たって居なかった。十年ほど前には切手シートは必ず当たる物だと思って居たが、数年前程からはかすりもしなくなった。カネがなくなれば運も希望も遠ざかるのかも知れない。
そのせいでもないのだろうけれど、今朝方の夢は悲惨だった。満員の体育館で講演を頼まれて、意気揚々と熱弁を振るいながら、スクリーンの説明をしていて、ふと、振り向くと、体育館の聴衆は一人もいなくなっていた・・・・というもの。こんな悲惨な夢を年明け早々に見るなんぞ・・・。
四月の講演会では、輪袈裟の歴史やら用途なんぞから、お袈裟の成り立ちから変遷や袈裟の意味なんぞをお話しようと思って居たのだけれど、これではウケないのかも知れないなぁと思うようになってきた。熱を入れて、「お袈裟とはなんぞや・・・」とお話をして、振り返ったらだあれもいない・・・。そんなことにはなるまいが、やや、不安な夢であった・・・。
これは、お遍路さん用に売っている「輪袈裟」だと言われているもの。輪袈裟だったら、出家をしていない俗人は着用できないことになる。本来のお袈裟は僧侶の制服であり、お坊さんの象徴であるべきもの。
これに似ているのが、真宗では「門徒式章」と呼ばれるもの。これは在家のご門徒さんが法要や儀式で着用するもの。形はこれにそっくりだ。
違いは、この大威儀や小威儀がないことと、紐があるかないかの違い。幅も少し違っている。
一般的には、「半袈裟」と言う呼び方がいいのだろうか・・。輪袈裟というのは、完全に輪になっているもの。折五条は紐ではなくて小威儀になっている筈。このあたりは、宗派によって解釈が違うのだろうか・・・。
これは民俗学の範疇を超えているかなぁ・・。
午後からは、またしても納め札のデータ確認なんぞをやっていた。これらのデータから、何を解釈し、何を描き出すのか・・。どうやって論文にまとめあげるのか・・を考えていた。
そして、田淵家、寒川家、飯田家のデータを統合していいものかどうか、それぞれ、個別に分析してまとめ上げるのか、トータルで考えればいいのか、そのあたりのコンセプトをどうするのか。ますます、あたまの痛くなるデーター群ではある。
四国霊場58番札所の円明寺にある日本最古の納め札は銅製。江戸初期の慶安3年(1650)のものである。奉納者は伊勢国三宅郡出身で江戸日本橋材木町に住み、京都に移って明暦元年(1655)死亡した。この銅板の納め札は西国から、板東、秩父、六十六都廻国のあとに四国遍路に出た時のもの。「四国仲遍路同行二人 今月今日平人家次」と書かれている。この銅板の納め札は四国遍路納め札では唯一のもの。この納め札を発見したのは大正時代に四国遍路の旅をしていたアメリカ人教授スタール博士だと言われて居る。
今日の掲示板はこれ。「乗れば人 歩けば車 邪魔になり」というもの。狭い道で自動車と出くわした時、自分が徒歩だったので、道を譲ると、あいさつもなく走りさった時、「なんてやつだ。本当に車は邪魔なものだ」と腹を立てる だろう。かと思えば、自動車で出かけたが、遅刻しそうになった。ところが、狭い道の真ん中をご老人が悠然と歩いている。どうやらこちらには全く気 がつかない様子だ。クラクションを鳴らしてびっくりさせてもと思い、結局イライラしながら後ろを付いていった。内心は「まったく邪魔だ、もう少し気をつけ て歩いたらいいのに」と腹を立てるだろう。とにかく、我々は「自分以外は全て邪魔」・・・なのである。
じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。