さぬき市地方は冬型の気圧配置が強まっているため、雲が広がり雪の降る所があった。朝方は粉雪やみぞれが断続的に降ったし、雷を伴う所もあった。気温は2度から5度、湿度は78%から70%、風は4mから12mの強い西の風が吹き荒れて体感的に冷たい一日になった。明日の20日は冬型の気圧配置が続くため、雲が広がりやすく、夕方にかけて雪や雨の降る所があるらしい。
朝方はうっすらと粉雪が積もっていたが、道路上はなんともなくて通常通りに車が走っている。ようやく、讃岐路にも冬がやってきたという感じになってきた。
で、今日は全国的に火曜日になったので恒例の「俵札調査」に出かけた。いつものさぬき市前山にある「おへんろ交流サロン」だが、さすがにこんな日にはお遍路さんの姿は見えなかった。
今年の三月から、ここの資料室で、「おへんろつかさの会による俵札調査結果展(仮称)」が開催されるので、その展示の準備段階に入った。先に調査を始めた、「寒川家」所蔵の840件のデータから100点の納め札を選び出している。ここには、宝永元年(1704)から昭和14年までの納札が発見された。
中島先生は「飯田家」の1130件のデータから100件の納札を選び出している。ここには、江戸時代末期の天保年間(1830)から大正初期までの納札が発見されている。
私は「田淵家」の2340件のデーターから60件を抽出する。この家からは明治元年(慶應4年)から昭和14年までの納札が発見されている。ここには江戸時代の物がないので、数が少なくなっている。
この俵の中身も見たいのだけれど、開けさせてはもらえないそうだ。これは、お遍路資料室に展示をされているもの。「開けてもいいが、現状通りに復旧すること」の条件で、あけたら最後、この俵は粉々になってしまう恐れがあって、開封は不可能らしい・・・。
写真撮影担当の多田先生から、「こんな風に、納札ばかりを眺めていると、自分なりのオリジナルな納め札を作ってみたいものですね」という提案があった。で、みんなで、「納め札コンテスト」をやろうじゃないか・・・ということになった。
私は「お大師さん」を使うのはどうか・・ということで、本山の後堂(うしろどう)の後門扉に描かれている「キリク」の「阿弥陀」という梵字を使うことにした。
という納札を作ってみた。でも、これでは当たり前過ぎて、コンクールでは上位入選は無理かも。もっと、私らしいものを考えてみなければ・・・。それだし、カラー印刷版のほうが目立ちそう。
作業後の打ち合わせ会。二月から四月のイベントの段取りというか、周知方法とか案内の仕方とか・・・。
午後からは粉雪が降り出してきたが、このあたりでは積みそうもない。降って地上に落ちたら溶けて消えてしまう。
夜中から朝方に降り続けたら積もる可能性はあるのだけれど。
今日の掲示板はこれ。「一度しかない人生だから 自分の道を自分らしく生きたい。人間らしく。自分らしく。」というもの。相田みつをさんの言葉らしいが確証はない。たった一度の人生であれば、「自分らしく、人間らしく、生きたい」というのが、多くの人の願いだろう。私も自分の道を自分らしく生きて行きたいと思う毎日であるのだが、「人間らしく」とはどういうことなのか、「自分らしく」というのはどういうことなのか。この「自分」が分かっていないことに気付いてうろたえている・・・。
じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。