さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は2.6度から16.6度、湿度は90%から52%、風は1mから2mの西北西の風が少しばかり。明日の23日は気圧の谷や寒気の影響で雲が広がりやすい見込みらしい。
今日は全国的に火曜日だけれど、納め札の展示が始まったんだから、もう、今日は出勤しなくてもいいんじゃないか・・・と、半信半疑で、またしてもここにやってきた。さぬき市前山にある「おへんろ交流サロン」・・・。すると、もう、皆さん、集まって活動をしている。
それに、テレビカメラも入って、若い娘さんの声がにぎやかそう・・・。「あ、おせったいでもやってるんか・・・」と、会議室に入ると・・・。「ねぇ、ねぇ、田淵家の訳文が間違ってるって、先生が言うてるよ・・・」との声が・・・。
訳文というのは昔の墨で書いた納め札を私が現代文に訳したもの。それが42枚中5枚も間違っている・・というのである。先生というのは、顧問の歴史学者の「藤井洋一」先生。私はいい加減な性格だから、「そんなもん、誰も気づきはせんですよ~」と言うと、「県立ミュージアムの偉い先生方が見学に来られるらしいよ・・」「そそ、おへんろつかさの会の信用問題よ」などと言うもんだから、その指摘された場所をメモして、自宅に舞い戻り、修正することに・・・。
名前の「ミク」が「ミワ」に、「はる」が「はな」に、「山浦」が「山津」に・・みたいなことは、誰もわからんことのように思うのだけれど、他人の仕事は余計に目に付くものらしい・・。「真鍋」が「真部」とか「ヒロ代」が「喜代」は大きな間違いだなぁと思ったが。
ということで書き換えて、印刷して、裁断して・・・再び交流サロンまで戻って差し替えて並べ直して・・・。わが家から前山までは20分。往復で40分・・・。
「みんなはお接待受けてきたから、あんたもいただいてきなよ・・・」というので、お接待の会場へ・・・。恒例の「高松短期大学秘書科」の学生8名が四国八十八ヶ所霊場の第八十八番札所大窪寺に近いさぬき市前山にある「おへんろ交流サロン」で「お接待」実習を行っているもの。
この実習は秘書科「地域文化研究Ⅰ」の授業の一環で、これまで四国遍路に関する講義や、歩き遍路体験学習に引き続いて行われたもの。おへんろ交流サロンには、お遍路さんや観光客、地区の小学生や私たち「おへんろつかさの会員」などが訪れ、学生は準備したうどんやサラダ、お菓子、飲み物などを振る舞ったり、アンケートに協力いただくなど、一期一会の機会を大切に笑顔で活動していた。
今日のおうどんは「ぶっかけうどん」で、おいしくいただいた。
ちょうど、オランダからやってきた方が休憩に立ち寄ったので、報道カメラマンたちが集まってきた。こちらのご夫婦はたまたまの観光客。マイクやカメラを向けられてびっくり・・。私は早々に席を立った。
この子供達はすぐ近くにある「前山小学校」の生徒さんや先生と卒業生。この卒業生を最後に、前山小学校は廃校になる。4月からは長尾小学校に通うことになって、このお接待も最後になりそうだということだった。
着々と展示場も準備が進んできたが、まだ、写真パネルや説明パネルが届かない。来週の火曜日も同じように出勤になるらしい。
会長と顧問の藤井先生は「札ばさみ」の年号を解読しようとしているが読めないらしい・・・。
お昼になったので解散。私は保険請求のための診断書を受け取りに県立病院に向かった。診断書一枚を受け取るのに、やれ免許証だ診察券だ、会計は三番窓口だと30分以上もかかってしまった。やはり、県立病院というのはお役所的だなぁと思ったが仕方がない。
で、この診断書一枚が5,400円だと仰る。泣く子と病院には逆らえない。ついでに、来週に予定されていた「大腸内視鏡検査」をキャンセルしてきた。単なる「内臓脂肪」のおかげで食事ができない・・ということが分かったし、胃カメラでも異常がないと分かったんだし、大腸まで調べなくてもよくなった。
今日の掲示板はこれ。「苦の娑婆や 桜が咲けば咲いたとて」という小林一茶の俳句らしい。いつもの赤松先生の掲示板にあったもの。「世の中がいくら苦しいものだからと言って、桜が咲いたのに それまで「苦」だと思ってしまう…。人は愚かなものだねぇ。楽しいことまで「苦」の種にするこたぁないじゃないか。」とか、『この世は苦しみばかりだなぁ。桜が咲いてウキウキするはずのような季節でも、やはりその苦しみがなくなるわけではないのだ。』というような解釈になろうか。人は「幸せ」な事柄まで、ああ大変、ああ面倒、と思うことがよくあるもの。余分なことまで取り越し苦労をしなくてもいいものを・・・。
じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。