さぬき市地方は気圧の谷の影響で薄雲が広がっていた。気温は五度から18度、湿度は94%から52%、風は1mから2mの東北東の風が少しばかり。明日の24日は冬型の気圧配置となり、雲が広がりやすい見込みらしい。
薄曇り・・・と言っても春の陽気。明日からは冷え込むのか・・ということで、灯油をファン・ヒーターに給油をして、また、一缶、買ってこなければ・・・と思ったところ。
今日は水曜日でお休み・・・と言っても、毎日がお休みなんだけれど、前山へ出勤するのはお休みということ。目が覚めたら6時半だった。まさに「春眠暁を覚えず・・」というところ。
さて、昨日のこと、この、おへんろつかさの会の「前田チーフ・ガイド」から、「総会の講演の間にでも、法然上人25旧蹟まいり」や「親鸞聖人二十四輩巡拝」も、少しでもいいから説明してくれんやろか・・」という申し出があった。永年、いろんな所のガイドをしているが、「お遍路以外に、そんなものがあるのは知らなかったんや・・。みんなも知らんやろ。」ということらしい。
総会資料を作っていて、島四国・お大師まいり・おせったい・・・と言われる信仰習俗は過疎と高齢化で姿を消しつつある。塩飽28島に志々島・粟島の二島を加えて30島としても、現在、行われているのは、瀬居(島)、塩飽本島・広島・粟島くらいなもの。その歴史や内容はお話しできても、島四国を楽しむために訪問するとなると、容易なことではない。豊島や伊吹島でもやっているとは聞いたけれど、少しばかりさぬき市からでは遠すぎる。
それに、もう一つの「両墓制」も、近年の福祉の向上などで、香川県や岡山県の施設や病院に入り、そこで亡くなり、お葬式や初七日を済ませて、遺骨だけが島に戻ったり、戻らず「地方(じかた)」の親類や遺族に引き取られてしまい、島の埋め墓は利用されなくなっていく。そして、「詣り墓」の立派な石碑が建つようになった。塩飽の島々の「両墓制」も、佐柳・高見・志々島・本島新在家のように一部くらいしか見られなくなった。
だから、そうした習俗を記録し、伝えていくことは重要なことなのだが、多くを語れなくなってきている事実が目の前にある。だから、その後半にでも、この二つの巡拝形式をお話する時間的余裕はあるかも知れない。
この、法然上人25霊場巡拝や親鸞聖人二十四輩巡拝の「写し霊場」も、過疎と高齢化と土地の利用変更などによって減少し、集約化し、おまいりの人も見かけなくなった。
こういうことも合わせてお話してもよいのかと・・・。
江戸時代のお遍路は「死出の旅」ということで、「捨て往来」という通行手形を持っていた。これがないと、関所を通ることができなかったし、宿屋に泊まることもできなかった。でも、それと全く同じ通行手形を、真宗の二十四輩巡拝の人たちも持っていたのである。ま、その頃の旅は命がけの旅であったということになる。
そんなことで、朝の間はパソコンの前でにらめっこをしていた訳だ。
で、恒例の集落内一周の1時間コースのウォーキングで出た。そろそろ、ワラビの出る頃かなぁと探したけれど、わずかに1本だけだった。1本ではどうしようもないので映像だけに記録しておしまい。
県営大川ダムの桜は、まだ、こんな状態だった。明日は冷え込むとかいうていたので、今週末のお花見は微妙。ま、わが家のお花見なんていうものは、桜の花がなくてもどうということはないのだからして。「花よりビール」だ。そうそう、昨日、生ビール19㍑とサーバーのレンタルを注文してきた。
今日の散歩コースは、この逆順コース。わが家から大川ダムに寄ってから旧松尾小学校経由、みろく公園を回って戻って来た。1時間コースだった。今日はさすがに汗がにじんだ。
わが家のチューリップもようやくに花を開かせ始めた。でも、多くは蕾がまだまだ小さい。
今日の掲示板はこれ。「一言多かったか 一言足りなかったか 一言で人生が変わることもある」という荒了寛さんの言葉から。自分の一言で誰かが変わったという実感はないし、人に言われた一言によって自分の考え方が変わって、そのおかげで人生が変わったかもしれないということも ない。でも、一言多かったことで失敗したことは数知れないくらいにあるし、一言足りなかったことで理解されずに悔しい思いをしたこともいくらでもあった。 こういう一言は、内容も大切なのだが、相手の心にグッとくるタイミングで投げかけるからこそ響くものなんだろうと思う。タイミングが悪いだけで「一言多い」または「一言足りない」というい結果になってきたのだなぁとは思ったりする。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。