さぬき市地方は低気圧の影響で、一日中雨が降っていた。気温は11度から15度と少し高いが風が吹き荒れていて肌寒い一日になった。
雨と風とで落ち葉が降ってきて我が家の周辺はこれこの通り。ま、自然のものだからやがてには枯れて腐って無くなってしまうのだけれど。それだし、山にある葉っぱが落ちてしまったら、もう舞い落ちることもない。
ということで、午前中は、善光寺と二十四輩さんとがセットになっているのはなぜか・・・ということを調べていた。調べ歩いた三十カ所の内の六カ所に、善光寺という建物やお堂があるし、「善光寺」と刻まれた石仏は半数の十五カ所にある。
信州信濃の善光寺は真宗の寺院でもなく、無宗派の単立寺院であるから二十四輩さんとは全く関係がない。ああ、それなのに、それなのに・・・。
真宗のそれぞれの本山は、善光寺についてはなにも触れていないが、善光寺には「親鸞のお花松」という大きな壺に松の枝を活けてあって、「お花講」という組織まであって、この松を交換しているし、境内には松の枝を持った親鸞聖人の銅像まである。クマザサを並べて作った笹文字名号というものもあるし、爪彫りの名号石というものまである。
そこで気分転換。今日のおうどんは「木田郡三木町池戸」にある「手打ちうどん味泉(みせん)」に寄ってみた。ここは午前10時開店。
で、恒例のしっぽくうどん小で400円。色は薄いがしっかりと煮込んであってやわらかい。こんな具合だが、食べても食べても量が減らずに大汗を流しながら食べた・・・。
こうしてみると、客がいないように見えるが、この私の後ろに数名がいる。みんな、かけ大に天ぷらを食べている。そういうものが一般的だなぁとは思うのだが・・・。
昼過ぎには雨も上がってやわらかな日差しが見えたが、それもつかの間で、またもどんよりとした曇り空になって雨まで降ってくる。「ああ、ややこしや、ややこしや・・・。」
親鸞聖人は越後に配流され、還俗させられて、四年間を雪国で過ごした。その後、許されて関東に向かうのだが、その途中で善光寺に百日間、逗留している。だが、そうしたことを讃岐の人たちが知って、善光寺を二十四輩の中に組み込んだのかどうか・・・。
多くの人たちが讃岐のこんぴらさんにあこがれたように、一生に一度は善光寺にお参りしたい。「牛に引かれて善光寺」というくらいだから、信州信濃の善光寺にもお参りしたい・・・ということで、二十四輩さんとセットにしたのかも知れない・・・。
今日の掲示板はこれ。「現在が続いて将来となる 現在を離れて将来はない。」というもの。今があるから明日がある。今をなくしたら・・・明日はない。それはそうなのだが、今日もあっという間に暮れてしまった・・・・。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。