さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れている。気温は18.0度から28.8度、湿度は96%から62%。風は1mから3mの西南西の風が少しばかり。明日の6月1日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。
今日は天気がいいもので、火曜日恒例の図書館通いの日になった。来週一週間は「資料整理」とかで休館になる。そこで、借りていた本を返却するためにやってきたもの。
それと、「真宗公論」という学会誌をここに寄贈するためである。半信半疑で寄贈を申し出ると、「そこにある注意書きをよく読んでおいてください」というので、五箇条ほどの注意書きを読んでみた。「不適切な場合は処分します」という条項があったので、納得して三冊を寄贈してきた。無碍に断らないところがやさしいなぁと思った。
ここには、私の著作が12シリーズあるが、いずれも処分されたことはない。1シリーズは三冊である。閲覧用、貸し出し用、書庫用の三冊ずつを寄贈している。
ついでだからと、6月中旬に行われる「讃岐一国逆打ちまいり」のコースの下見をしてみた。今までは山の中だったが、今回のウォーキングは市内の市街地を歩くことになる。私の取材場所の位置取りのためである。どこに車を停めて、どのアングルから一行を迎え撃って撮影するか・・・のポイント決めである。
前回は屋島寺から歩いてここまで来て、ここから列車に乗って帰ったらしい。JR高徳線の木太町駅で、6月にはここから歩き始めるらしいが、ここには駐車場がないし、付近に広場もない。ここで皆さんをお迎えするのはきびしい場所。
そこから南下してきたところにある「木太小学校」だが、このあたりにも空き地がない。このあたりは道幅も狭くて取材ポイントが難しそう・・・。足を痛めた人や急病などの場合の救護班も私が兼ねる。
少し西に進んだところにある「野田池」や「伏石中央公園」「伏石神社」あたりは場所的に余裕があるが、その後はまたも細い道をくねくねと歩くことになる。どこで待ち受ければいいものか。
こういう大きなランドマークがある所はいいのだが、歩き遍路を車で追いかけるというのは、市内の住宅地では難しそう。
讃岐一の宮の「田村神社」が見えれば、ゴールはすぐそこ。
昔は仲良くしていた「別当寺」だった「一宮寺」が83番札所。その後、変則で80番の国分寺まで歩いてJR国分駅からさぬき市へ帰ることになる。歩行距離は約19.3Km程度になるらしい。7月にはJR鬼無駅から根香寺から遍路道経由で白峯寺を経て国分寺を打って、国分駅から帰宅の予定。
今日のお昼もガリガリ君。いきなり暑くなったので冷たいものがおいしくなった。
お昼からは亀鶴(きかく)公園の花菖蒲園をのぞいてみた。6月5日に「しょうぶまつり」が行われるらしい。時期的に介護施設の車が何台も並んでいた。右上の東屋にいる人たちがそうらしい。
早くも看板屋さんが、「しょうぶまつり」の会場ゲートを設営に来ている。
こういうゲートになる筈である。
今週、来週は、大勢の人たちでにぎわいを見せることになるだろう。
今日の掲示板はこれ。「自分は正しい 自分は賢いというところに立っている これが人間の迷いのもとです」というもの。赤松先生のお寺にあった言葉から。私たちは「迷い」と聞くと、右に行ったら良いのか、左に行ったら良いのかと迷っている様をイメージしがち。しかし、仏教 における「迷い」とは、「こうに違 いない」「こうあるべきだ」という「思いこみ」のことを指すのである。思いこんでいる時に、その思いこみに気付くことはないし、気付かないからこそ「思い こむ」というのであろう。その思い込みをやめることはできない私たちだが、そのことに気づくことが大切だというているのである。迷いを断ち切ったりはでき ないが、その迷いに気づくことが大切だというのである。
じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。