さぬき市地方は低気圧や湿った空気の影響で雨が降っている。気温は23.8度から28.0度、湿度は96%から84%、風は0mから2mの東南東の風が少しばかり。明日の9日は低気圧や湿った空気の影響で雨や雷雨となり、明け方まで激しく降る所がある見込みらしい。
今年の梅雨はよく雨降る梅雨だ・・・。田んぼがあるわけではないし、お仕事に行く訳でもないので、雨がいくら降ろうと少しも問題ではないし、困ることも何もない。
昨夜のBSジャパンのなんでも鑑定団「極上お宝サロン」という番組を見るでもなく眺めていたら、「なぎら健壱」さんが千社札のコレクションを披露していた。
四国霊場のお寺にも「千社札」を張ってあるのをよく見かけるが、あれをどうやって張るのだろうかと考えていた。あれを張っている光景は一度も見たことがない。
ま、こんな道具を使うんだろうな・・とはうすうす感づいていたが・・・
こんな「夫婦刷毛」というものを使うんだそうだ。
それに、こうした「蝶番」を固定して、釣り竿などに固定するのだそうだ。
で、千社札の裏に「大和糊」を塗って、蝶番に挟んで貼り付けるのだそうだ。その時に、他人様の札にかぶってもダメだし、重なってもダメだし、ボンド使用やシールもダメだそうだ。それに、カラーは控えて白黒のものが良いそうだ。張り終えたら、刷毛をうまく使って、きれいにしわ伸ばしをしたり、空気を抜いておくのだそうだ。
9時半になったのでお出かけをして、歯医者さんに行って来た。
昨日の「あたらしもみじまんじゅう」の半分をここにお裾分けである。「新・塩飽小坂小誌」の原本を書いたのが、ここの先生のおじいさん。つまり、ここの先生が福崎孫三郎の御子孫である。そのご子孫にもよろしく・・ということで、某大学の教授からの贈り物という訳である。
ところで・・である。私は、いま、「俵札の調査」をしているが、納め札の原形は、この「巡礼札」だと言われている。ここは西国巡礼の26番札所の「一乗寺」さんのご本堂である。ここの天井の高さはおよそ七メートル。どうやって、あの天井に巡礼札を打ち付けられたのか・・・。
ここには、「花弁状」というか「ヘリコプター状」というか、「竹とんぼ状」というか、扇形のように板を打ち付けてある。これは、いったい、どういうことなのか・・。多くの学者さんがたくさんの論文を書いているが、江戸時代後半のものが多くて、総数は約2万枚もあったという。
壁際や柱にならばハシゴが掛けられるが、天井の真ん中ではハシゴは使えない。ましてや、千社札用の夫婦刷毛でも届かない。なぜ、巡礼者はそこまでして、巡礼札を打ち付けたのだろうか。
一説では、十数人の「連」や「講」で巡礼し、10人ほどが第一段で輪を作り、その上に5人ほどが載り、3人が第三段、1人が第四段に上って、全員の巡礼札を扇状にして釘で打ち付けたのではないかと想定している。そうすれば、1.6m掛ける4段で6.4m、手を伸ばして7mの天井に釘が打てる。まるでサーカスもどきの巡礼団である。
午後からはそういうことを論文にまとめていた。
今日の掲示板はこれ。「私たちは毎日他のいのちを口にして生きている いただきますとはそのいのちに対する感謝と懺悔の言葉である」という、いつもの赤松先生のお寺にあったことばから。この「いただきます」という簡単な言葉が最近は少なくなった。聞かれなくなった。言えなくなった。それはとりもなおさず、「いのち」の重さを感じなくなったのと同時に、その「いのち」に対する感謝や懺悔の心が失われたからではあるまいか・・・。今夜からでも、家族揃って「いただきます」を言ってみようではないか。
じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。