さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。高温が予想され、熱中症の危険が特に高くなるとかで、高温注意報が出されていた。気温は26.4度から33.3度、湿度は92%から71%、風は0mから2mの東北東の風が少しばかり。明日の7日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れるけれど、午後は大気の状態が不安定となるため、雨や雷雨となる所がある見込みらしい。
今日は遍路札で一緒に作業されている中島先生が、どうしても出席できないので代理聴講してきて欲しい・・と頼まれて、高松市国分寺町にある「讃岐国分寺跡資料館」にやってきた。
ここは、奈良時代に聖武天皇が全国に建てた「讃岐国分寺」跡の資料を展示してある施設で、現在の四国霊場80番札所の国分寺とは全く関係がない。
こうして、旧国分寺跡から発掘された瓦や「セン」と呼ばれるレンガ状のものなど多種多様な資料が展示されている。
こうした瓦類とか・・・
近くには、復元された僧坊もあって見学できるが、今日は暑いのでそちらは遠慮した。
「とにかく、中島の代理で聞いて来て・・・」と言われただけで、どんな先生の、どんなお話なのかわからないで来たのだから始末が悪い。このセンセ、どこかで見たことあるし、この話し方、なんか、クセがあって聞いたことあるなぁ・・と聞いていたが。
あ・・・、おへんろつかさ養成講座で遍路道にある石造物の講義を担当している「片桐孝浩」さんか・・・。香川県の文化財担当の方である。
で、今日は、「讃岐国分寺跡資料館友の会」の行事として、「四国遍路の調査から見えてきたもの」という講題で、世界遺産登録に向けた四国遍路調査から見えたもの・・についてお話された。私は世界遺産登録はちと、ムリなんじゃないかなぁとはいつも思っている。
で、私が聞こうとしたものがこれ。讃岐にある四国霊場の67番札所大興寺には大師堂が二つある。一つは当然、弘法大師をおまつりする大師堂だが、右側には天台宗第三祖智頸(ケンが出ない)を祀ってあるが、その木造座像内部にネズミが引き込んだと思われる納め札である。
ネズミが噛みきったような小片が多く、1,424枚もの納め札になったという。そこには江戸時代後期の文政9年、弘化2年を含むが、多くは明治13年から明治41年の明治ブームのものであったという。出身者は四国4県と広島・岡山などの山陽圏、兵庫・大阪などの近畿圏が多かったという。一般的な数字だなと思った。
その大興寺の成り立ちとか、遍路の記載された過去帳の話とか六十六部廻国者の話とかもあったが、遍路札以外には興味がないので聞き流してしまった。
今日は8月6日、広島原爆忌の日である。朝、ラジオで、慰霊祭の様子を聞きながらやってきた。
今日の掲示板はこれ。「忘れざる ことが供養や 原爆忌」。原爆を、被爆を、戦争体験を風化させることなく伝えていくことこそが、先人への礼儀であり、供養であるというのである。今年で71回目の原爆の日、私の記憶も風化しつつあるが、若い頃の広島の暑い一日を改めて思い出しながら黙祷をした。首相として初めて佐藤栄作さんが広島に来て、原爆資料館を見学したが、資料館を出てきた首相を一目見ようと、みんなが出口に殺到した。私もみんなに押されて、その中に押し込まれた。佐藤栄作さんの顔が引きつったのを鮮明に覚えている。「動くな!逮捕されるぞ!」と誰かが叫んで、流れが止まって、その集団は静かに静かに解散した。あたりは何事もなかったように平静にもどったことを思い出した。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。