さぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れていた。気温は22.3度から31.9度、湿度は76%から52%、風は2mから5mの西の風が少しばかり。明日の9月1日は、引き続き、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。
朝方は肌寒くて、思わずセーターが欲しいと思ったが、まだ、そんなものは出せそうもなかった。
例の仁尾町の両墓制だが、あの家の浦地区だけではなくて、町内各地にもあるらしいが、その場所がわからない。それを調べるために香川県立図書館に出向いたが、それ以上の資料には出会えなかった。
「捜し物は何ですか 見つけにくいものですか カバンの中もつくえの中も 探したけれど ...」と、こころの中で歌いながら探したけれど、探している間は見つからない。
この地図だと、お隣の三野町や観音寺市にもあるということなので、そのあたりの町史・市史を探してきた。
そのついでに、こんな本も・・・。
観音寺市にはこんなものがある。「寛永通宝」と刻まれた巨大な砂絵である。誰が、何のために、これを作ったのか・・・という謎に迫って、いろんな人がいろんな説をたて、さまざまな研究が行われてきたが、これという説はまだない。
丸亀藩のお殿様(巡検使)が来ると云うので、一夜で作り上げたという説もあれば、一夜で、ひょうたんの図柄から寛永通宝に作り替えられたという説まである。こんな砂絵を一夜で作るならば、現代のお金で三億円にもなるという説もある。
誰が、いつ、何のために作ったか・・という記録は一切ないし、公的記録もない。これは、明治33年の写真らしいが、こんな砂絵ならば一夜で書き上げられると思うが、意図がわからない。
大正時代末期ごろの写真である。この頃でも、そんなに変化はない。松の木が増えた程度である。
それが、昭和に入ると、こんなに立派になる。米軍機が秘密基地かも知れないと偵察機が飛んできたという話まで残っている。
昭和に入って、形も変形されて、山の上の展望所から見て、正円に見えるように縦長に修正されている。
なんだかんだとあった八月もおしまい。
10年日記も順調に記録されている。あっという間の人生みたいだ。
今日の掲示板はこれ。「聞いてみなんせ まことの道を 無理なおしえじゃなわいわいな」というおかる同行の言葉から。「おかるおかると揺り起こされて「あい」と返事もあなたから 聞いてみなんせまことの道を 無理なおしえじゃなわいわいな まこと聞くのはおまえはいやか 何がのぞみであるぞいな」という「六連島のおかる」の歌である。「はいの返事もあなたから」と歌われた源左さんに、「あいと返事もあなたから」と歌われたおかるさん。どちらも阿弥陀さまに出遇った法悦の世界を言葉にあらわされたものであるのだが、なぜ、「はいの返事もあなたから」なのであろうか。ちなみに、「六連島」は(むつれじま)と発音し、山口県下関市の響灘(ひびきなだ)諸島に属する島である。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。