さぬき市地方は、前線や湿った空気の影響で、雨や雷雨となっている。気温は23.9度から24.7度と久々に涼しくなった。湿度は94%から89%、風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の20日は、台風第16号が接近するため雨や雷雨となり、非常に激しい雨の降る所がある見込みらしい。
連休だからとキャンプに行っていた娘家族が避難をしてきて、昨夜は賑やかな一夜になった。おかげかどうか、今日はおなかの調子がイマイチである。
弟から電話があって、お彼岸中にお墓参りに行きたいのだけれど・・というので、お墓の掃除や草刈りをやっておかないといかんのだけれど、雨ばかりではどうにもならん。
雨が小降りになったスキをついてお墓にやってきた。そんなに草を刈り払うほどでもないが、お墓の周りだけでもと草を刈っておくことにした。
でも、お墓の周囲だけを刈ってみると、なんかおかしい。ということで、畑部分もみんな刈り払うことになった。
私が子供の頃には、ここはサツマイモ畑だった。でも、子供らが大きくなるとサツマイモの時代ではなくなってそのまんまになっている。
で、お花もついでに投げ込んできた。
30分ほどで草刈りが終わったけれど、作業服も下着も汗と雨とでずぶ濡れになっていた。
今日(9月19日)は、「子規忌,糸瓜忌,獺祭忌」である。1902(明治35)年の今日(9月19日)は、俳人・歌人の正岡子規(まさおかしき)の忌日で、糸瓜忌、獺祭忌とも呼ばれている。子規は、洋画の写生の精神を文章表現に応用して、俳句、短歌の革新を試みた。しかし、若くして結核を患い喀血をくりかえし、20代後半からは結核の骨髄感染(脊椎カリエス)のため歩くことすらできなくなり、病に臥していた。病臥する子規の棲家であった東京・根岸の子規庵には多くの門下生が集い、明治以降の日本俳壇史にもっとも大きな影響を投げかけた場所と なった。
この“子規庵”には、日覆いかわりに、糸瓜(へちま)棚がしつらえてあり、彼の随筆や句集の中にたびたび登場する。この糸瓜の茎からは、「ヘチマ 水」が採れ、この「へちま水」は「せきどめ、利尿剤の薬用もあるので、そのためにも植えられていたのであろう。「痰(たん)一斗 糸瓜の水も 間に合はず」/「糸瓜咲いて 痰のつまりし 仏かな」/「をととひの へちまの水も 取らざりき」 自分の死期を悟った子規は、ちょうど死の前日の18日、この三句を仰臥したままで記したという。痰を切るのに効果のある糸瓜の水は陰暦の8月 15日に取るとよいと言うが、もうとても自分には間に合わない。すでに仏同然と、病み呆けた自分を客観視しているのである。なんという強靭な精神力だろう か。忌日を「糸瓜忌」とよぶのは、子規の辞世(絶筆)の句となった、上記3句によるものだとラジオが報じていた。
tenki.jpによると明日も終日雨になるらしい。16号台風(マラカス)は明日の正午ごろにさぬき市あたりを通るらしい。あさっては晴れる予想らしい。高知上空でしっかりと雨を降らせて欲しいものである。
今日の掲示板はこれ。「"人"の"為"と書いたら "偽り"という字になりました」というもの。「人の為」だと思って物事を為すことは尊いことである。「人の為」と思うからこそ、物事を為すことができるのかもしれない。しかし、たとえ純粋な想いで始めたことでも、いつの頃からか「お礼を言われなかった」「誉められなかった」「見返りがなかった」など、不平不満の気持ちが溢れて来るもの。そのことを否定する つもりは毛頭ないけれど、本当に「人の為」を想ってのことなのかどうか、自分を中心に考えていなかったか?不平不満が出たときにこそ、問い返されることである。「偽り」と表現すると、わたしの想いや行動を否定されるように聞こえるかもしれないけれど、そうではなくて鏡のことばとして受け止めよう。「偽り」とは、わたしの姿を映し出していることばなのである。
じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。