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Channel: まほろば自然博物館
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春の風 ぐうたら午後を 見て通る

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 さぬき市地方は気圧の谷や寒気の影響で曇り、弱い雨の降っている時間帯があった。気温は13.0度から10.4度、湿度は90%から70%、風は2mから7mの西の風が一時は強かった。明日の24日は、冬型の気圧配置となるため、概ね曇りとなるらしい。

 

 雨だ、寒いぞ・・・と言いつつ、北海道から送られてきたチューリップが葉っぱを伸ばしている。春は静かにやって来ていると教えられた。

 

 さて、昨日から続けてきた「おへんろつかさの会公式ホームページ」だが、どうにか形になってきた。で、なんで、突然にホームページを作り直すことになったかと言えば・・・。

 

 こういうチラシやポスターを、ホームページに添付したい・・という会長からのオーダーである。今までのSP版では、こういうファイルを貼り付けることができないように思う。やればできるのかも知れないのだが、その方法がわからないし、とにかく、更新したソースデータがどこに格納されているかがわからないのが最大の問題点だった。

 

 で、基本的な「クラシック版」というものに乗り換えた訳だ。で、こうしたファイルをpdsファイルに変換して貼り付けた訳だが、パソコン側ではちゃんと見られるのに、送信すると、「ファイルが見つかりません」というエラーメッセージが出てくる。

 

 で、あれこれとやってみたが「file not found」ばかりが出る。確かにファイルは送信されてサーバー上にあるのに、ないと仰るのだ。おかしい・・。

 

 何気なく、取説を眺めていたら・・・「ファイル名は英数字小文字・・・」という語句が見えた。ファイル名を見てみたら、「H29-おへんろ-ルンルン春遍路♪大窪寺~切幡寺・・・」 それじゃぁ、ダメじゃん、春風亭昇太。簡単な記号にリネームしたらすっと表示された。

 

 一つ、会長からの宿題が片付いたので、やる気スイッチの切れたまんまになっていた「娘遍路」のスイッチを入れた。

 

 図書館で借りてきた本を並べてみた。

 

 嫁入り前の女性も一度は遍路を体験しなくてはならないという習慣は、江戸時代から戦前まで各地に見られた。昔の人の話によれば菜の花の咲く三月の初め、赤色の錫杖を持った老人の「先達」に連れられた十数名の娘たちが遍路道を歩いている姿は、四国の春の風物詩であった。とくに目を引いたのは、毎年訪れる腰巻き、手っ甲、脚絆、手拭い、などもすべて藍色に染め抜いた揃いの遍路姿をした「讃岐の伊吹島の娘遍路」や、伊予ガスリを着た、「宇和島の娘遍路」の一団だったそうである。

 

 しかし、こうした娘遍路も、昭和16年を最後に途絶えてしまった。太平洋戦争に突入してからは遍路どころではなかったし、物資がなくなればお接待もできず、また、受けることもままならず、四国遍路は衰退してしまった。終戦後、四国遍路は復活したが、なぜか、娘遍路は復活しなかった。そこにはどんな事情があったのだろうか。そんな研究である。

 

 昨年の10月、つかさの会の渡邊会長から、「娘遍路についての論文を提出せよ」とのオーダーを頂いた。この笠に「さ」の字を入れたものは讃岐の国の伊吹島の娘遍路である。伊吹島というのは観音寺市の西にある小さな島で、「イリコ」で有名な島である。昔は、嫁入り前の修養として、みんな、四国遍路に出たものだという。後方に二人の男性がいるが、会計・宿取り・納経取り・護衛警護役と先達も兼ねていた。

 

 これを3月18日までに完成しなければならない。もう、三週間ほどしかない。

 

 最近の時間の流れの速さに戸惑うばかりだ。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分に問うてください。一度きりの人生を どのようにいきていくのかを・・・」というもの。人間の生は、無目的ではあっても、無尽蔵ではない。タイムオーバーの存在する、束の間のものだ。しかも、いつ寿命が尽きるのか自分では判らない。そういう危うい条件のもとで自分の生が成立していると自覚すると、この一回きりの人生をどう料理してやろうか、死ぬまでの束の間をどのように過ごそうかという発想が生まれてくる。無目的に、たまたま生きているという巡り合わせを、どのように取り扱うのか?明日死ぬかもしれないとして、今日をどのように生きるのか?もし、あと十年ぐらい生きられるとしたら、その十年を使ってどのような事をやりたいのだろうか・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


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