さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響により概ね曇りで、雨の降っている所があった。気温は早くも15.4度から22.4度、湿度は96%から67%、風は2mから4mの北北西の風が少しばかり。明日の10日は、前線や湿った空気の影響により曇りで、昼過ぎから雨が降る見込みらしい。
私が、俵札調査で「蘇民将来」のことを調べていると知って、京都の神社さまから、このようなものを送って頂いた。右側は「祇園祭」に授与される「ちまき」である。この中央、やや下に白いものが見えるが、これが「蘇民将来符」である。左は、全国各地の「蘇民将来符」を集めた資料である。
私たちの手元にあるものは、この二重になったものであるが、上のちまきには一重の「蘇民将来子孫也」という「符」がまきつけられている。
さて、「たまには法務」ということで、所属寺院の「勝覚寺」にやってきた。
ここの鐘楼には「コウモリ」が住んでいるとおっしゃる方がおいでになるが、平成の時代になって、それはもう、昔話。たまに、こうもり傘をお忘れの方がいるのかも知れないけれど。
そうそう、「庄松同行ゆかりの寺」だと言えば、そのほうが話が早い。
なにげに、境内から空を見ていると、この鉄塔が見えた。ここに、大きなパラボラ・アンテナがあったのだが、光ケーブルに負けてしまって撤去されたみたいだ。若い頃、おもしろがって、この三段目の高いところまで昇ったことがあるが、降りるとき、下を見ると直角のハシゴだったので、怖くて怖くて、半日ほど身動きできなくなったことがあった。夕暮れが迫ってきたので仕方なく泣きながら降りたのを思い出した。
今日も、冊子の印刷をやっていた。
こういう本である。なぜ、彼らは国を追われ、ふるさとを捨てて四国にやってきたのか。なぜ、彼らはさまよわなければならなかったのか・・・。
今日も二部、二冊を印刷して製本して、
郵送する準備をした。明日の月曜日に発送の予定。
これが、今回、さぬき市前山の「おへんろ資料館」に納本する七冊の本である。
お彼岸も済んで4月も上旬を過ぎたら、気温は一気に上昇してきた。どことも桜は満開になったし、山には山桜や山つつじも咲き出してきた。
今日は暖房もセーターもいらない暖かさになっていた。
今日の掲示板はこれ。「散る花や すでにおのれも下り坂」という小林一茶の俳句から。一茶の人生観の一端を垣間見るような句である。この句を読みながら、つくづくと感じるのは、自分の感性を高みに置かず、取るに足りないひとりの人間として、花を傍観して得た素直な感情を、句にしていることである。人間は死への存在であり、死を意識する動物である。しかし、普通に考える死は単なる知識であり観念である。しかし、それが現実の自己にかかわる死ということになってくると、そういうわけにもいかなくなってくる。「散る花やすでにおのれも下り坂」不安を隠しきれない句に読める。「白露やいつものところに火の見ゆる」秋の露ははかなくも消えるもの。「いつものところ」とは在所の火葬場のことであろう。「火の見ゆる」とは人を焼く火であろう。なんとなく寂しい人生のたそがれ、死を間近にした心境である。一茶が晩年とくに信心深い生活を送ったと聞いているが、それは人間的な価値が、いかにむなしいかを知っていたからだと思われるのだ。
じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。