さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は20.0度から28.5度、湿度は96%から62%。風は1mから2mの東北東の風が少しばかり。明日の24日は、梅雨前線が北上してくるため曇りで、夜遅くは雨が降る見込みらしい。
今日、奥方がリストラされて、最後のお仕事の日。「お昼までで帰ってくるので、どこにも行かないでね」と言い残して残務処理のために出掛けて行った。いや、解雇通告を受けた翌日には、次の仕事場を探してきたし、先日の17日にはみんなで「激励会」もやっている。
そういうことで、刈り残してある部分を、朝の間の涼しい間に少しでも刈っておこうと刈り出したのだが、すぐに気温が上昇してきて暑くなってきた。
いつまでにやらないといけないお仕事でもないし、いつ、やめてもいいお仕事なので、40分ほどで諦めた。
シャワーを浴びて、着替えをし、濡れた作業着を洗濯して干してから、さぬき市前山にある「多和神社」を訪ねてみた。今回の「俵札調査」に関連する場所である。『全讃史』『生駒記』『讃岐名勝誌』『御領分中宮由来・同寺々由来』『讃州廿四社順拝案内略記』等の史料から確認できる内容から見ると、近世期まではほぼ当社が式内 多和神社であると見られていたようであるが、明治になって、さぬき市志度にあった志度寺の別当が、「うちこそ、多和神社」と名乗りを上げて、内務省から式内社の認定を受けたのだとか。
ま、どこの神社や寺院も、明治の「廃仏毀釈」で、廃寺・廃社になったり、生まれ変わったり、名乗り代えたりとした時代だった。そんな悲運な神社である。祭神は資料には大己貴命。ただし、境内の由緒石碑には手置帆負命の名も記されていた。大田尾大明神と手置帆負命の名の「たお」によるものだろうか。
「當社ハ世俗ニ大田尾明神トモ曰フ盖往古 現今ノ大字前山ハ多和村ト合シテ多和郷 ト稱セシヲ以テ神名ヲ多和ト附シタルナ ラン祭神ハ手置帆負命並ニ大己貴命ニシ テ今ヨリ一千餘年ノ昔弘法大師及ビ藤原 左太夫政富ノ勧請ニヨリ創始セリト舊記 ニ見エタリ人皇第六十代 醍醐天皇ノ 御時寒川郡多和神社トシテ延喜式讃岐二 十四社ノ一ニ選定セラル中古ハ甚ダ盛ニ シテ社殿ハ永承四年治暦二年乾元々年永 徳二年永正二年文禄二年寛永十二年萬治 元年ニ夫々改築行ハル又文政二年高松藩 主松平頼恕社地ニ畝四歩ノ寄進アリ現社 殿ハ大正十四年十月之ヲ竣功セリ」と、石碑には刻まれていた。
冷たいそうめんでの昼食後、奥方が「記念品をみんなに贈るので、文具屋さんに連れて行って・・・」というので、東かがわ市にある「文遊館」に行って来た。今夜は「送別会」にお呼ばれしているのだという。
その送別会には、職員さんのこどもさんも参加するそうなので、こどもさん用にかわいいグッズを選んだらしい。
その後は、スーパーで食材なんぞをまとめ買いして、久々に、義兄におやつの差し入れに行ったのだが・・・
午後はカラオケ大会に行っているし、夜は「ビアガーデン」に参加するのだそうだ。ま、あれこれとやって、気が紛れるといいのだが。
今日の掲示板はこれ。「またひとつしくじった しくじるたびに目があいて 世の中少し広くなる」という榎本栄一さんの言葉から。仕事で失敗したことは、とり返しのつかない嫌な気分に陥るもの。しかし、そのことによって自分というものが照らされ、気づかされて、自分中心の狭い世界が破られてゆくならば、この失敗でこんなことが教えられ、学ぶことができ、却って人生の味わいが深まり、世界が広くなったと気づかされて、そこに少しだけ広がった世界が見えてくる。
じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。