徳島地方は、梅雨前線や湿った空気の影響で南部を中心に雷を伴って非常に激しい雨の降っている所があった。気温は24.4度から30.2度、湿度は88%から75%、風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の9日は、引き続き梅雨前線や湿った空気の影響で曇り、概ね雨となり、雷を伴い激しく降る所がある見込みらしい。
さて、今日は第二土曜日ということで、「平成29年度特別研修」ということで、徳島の四国霊場を歩いて回る研修を行っており、今月は第4回で、18番恩山時から19番立江寺を歩くことになっている。恩山寺までは貸し切りバスである。
私ら数名は、高松自動車道の「津田の松原サービスエリア」からの乗車になる。それが、今回は午前6時集合で6:10分出発。
途中のコンビニでトイレ休憩をしたり、お弁当やら水分の補給をしておく。その後、徳島県小松島市田野町にある18番札所、恩山寺に着く。私はトイレ目指して一目散。
研修中にもトイレ、研修が終わってもトイレ。いろいろとお話を聞いたけれど「みみにっちょ(耳日曜)」。
そこから約4Kmを歩く予定だったけれど、「途中、坂道がありますよ~」と言われたので、数名と一緒にバスで移動して19番札所の「立江寺」へ先回り。立江寺も小松島市立江町にある。そこでもトイレばっかり。私の専用トイレみたいなことだった。
皆さんが歩いてきた時でも八時半過ぎくらいな時間だっただろうか。近くにカフェや喫茶店がある訳ではないので、自販機のお茶ばかりを飲んではトイレに駆け込むのだった。
今日のメインの研修はここでおしまい・・・の筈。ところが、付録のおまけの研修が大変なことになった。一行を「坂本地区」というところで下ろして、バスは、「別格3番札所、慈眼寺」に向かっている。それがまた、狭い道で急カーブの連続で・・・。
慈眼寺は徳島県勝浦郡上勝町に所在する高野山真言宗の寺院。山号は月頂山。詳しくは、月頂山 宝珠院 慈眼寺と号する。本尊は十一面観世音菩薩。別名「穴禅定の寺」。四国八十八箇所霊場第二十番札所奥の院、四国別格二十霊場三番札所。ここに着いたのは、まだ午前10時過ぎ。歩き部隊は2時間後でないと到着しない。
これが、穴禅定に入る試験用の板・・・。これを通れないと、穴禅定には入れない。間隔は約28センチだという。私ははなからおなかがつかえて、ここにも入れない。見ていた住職さんが、「おなかをひっこめて・・」というのだが、脂肪がたまっているのと胸水が貯まっているので引っ込んだり凹んだりはしない。「おなかをゆっすって。。」と言われてもぴくりともしない。
トイレに何度も行って胸水を抜くのだが、少しもおなかには影響しない。歩き部隊が到着したのは12時少し前。早速に水分補給と冷房の効いたバスに飛び込んで休憩して昼食。
検査に合格した10名が、よごれ防止用の白衣に着替え、手にはろうそく1本きり。メガネも携帯もカメラも禁止。真っ暗な闇夜の世界に、そんなものは必要ない。「あたまを下げて・・」の伝言ゲームで暗闇を進むのだとか。
とにかく、自分のわがままや意地や見栄やらが一切、通じない世界。お先達さんの言う通りをしないと暗闇からは出られない。「右や右や右やで・・。あんた、それは左やないか!」、「下や下や、横向かんかい・・」と、叱られっぱなしだそうだ。
12時半過ぎに穴禅定に向かって、戻って来たのは14時過ぎ・・。みんな、すなおになって、この笑顔・・・。自我や欲望を捨てると、こんなにもいい顔になれるのか。ちなみに、カメラマンの私の顔は、待ち疲れて鬼のような顔だった。
今日の掲示板はこれ。「君がどんなに遠い夢を見ても 君自身が可能性を信じる限り それは手の届くところにある」というヘルマン・ヘッセのことばから。ヘルマン・ヘッセ(Hermann Hesse)は小説家であり、詩人でもあった。代表作に「車輪の下」「デミアン」「ガラス玉演戯」などがある。1946年にノーベル文学賞を受賞した。ドイツ(バーデン=ヴュルテンベルク州)生れで、1877年7月2日~1962年8月9日(享年85歳)。
じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。