さぬき市地方は、梅雨前線や湿った空気の影響で曇り、雷を伴い非常に激しい雨の降っている所があった。気温は24.4度から27.7度、湿度は90%から86%、降雨量は40mm/hから50mm/h、風は1mから2mの北西の風が少しばかり。明日の10日は、引き続き梅雨前線や湿った空気の影響により概ね曇りで、雨や雷雨の所がある見込みらしい。
今年の梅雨はよく降る梅雨だ。雨では出掛けることもできないじゃないか。
そこで、昨日の報告を、公式ホームページに更新しておく。
雨も上がって空が明るくなったので、大窪寺に出掛けてみた。例の「ガイド・マニュアル」のネタ探しである。
これは、大師堂前にある「日本廻国供養塔」である。これを詳しく調べようとしたとたんに大粒の雨が降り出してきた。しばらく大師堂で雨宿りをしていたのだが、雨は激しくなる一方。
そこで、門前のおうどん屋さんに逃げ込んだ。八十八庵(やそばあん)さんだった。で、そこののれんに書いてある「団蔵うどん」を注文した。この「団蔵うどん」は、市川団蔵さんが結願後に八十八庵に立ち寄り、「時間がないので早くできるうどんを」と注文されたことから生まれたもの。短時間で茹で上がるように初代店主がうどんを細切りにして出したところ、「とても喉ごしがよくて美味しい」と好評だったのだとか。その数日後、団蔵さんは瀬戸内海で姿を消してしまった。
団蔵さんが、「こんなうどんは今までに食べたことがない。 はじめて、うどんの味がわかりました。」と感嘆したことから市川団蔵さんを偲んで「団蔵うどん」と名前をつけたという。
「〝老醜″で団蔵の名を汚したくない」。晩年は、そのことばかり考えていたようだ。そして、引退興行の千秋楽の日、こんな感想をもらした。『これがすんだら、重い肩の荷が一度にスーッとして、いい気持でしょうね』」という。また、六代目菊五郎の狂歌に「永生きは得じゃ 月雪花に酒 げに世の中のよしあしを見て」があるが、団蔵は、これをもじって「永生きは損じゃ 月々いやなこと 見聞く憂き世は あきてしまった」という狂歌をつくり、また、周りの人にも見せていたという。
「我死なば 人に迷惑 かけるなよ 仏頼まず さらば地獄へ」と、さらりと言ってのけた。そして旅の途中に、この歌を「我死なば 香典受けな 通夜もせず 迷惑かけず さらば地獄へ」と変えたとも話したという市川団蔵さん。おへんろさんはいろいろな想いで歩き続けているのである。
午後からは、写真の整理もやっておいた。
明日中にマニュアルの原型を作って、火曜日にはメンバーに見ていただくことにする。追加があれば追加もしておきたいし・・・。
雨は終日、降り続いていた。雷もガラガラと鳴っていた。
今日の掲示板はこれ。「わが心にごせばにごる すめばすむ すむもにごるもこころなりけり」というもの。我が心は濁すのは簡単だけれど、澄ませようとするのは難しい。我が物であって、我が物は何一つ無いのがこの世のありさまなのである。第一、この私の小さないのちですら、私達は生かすも殺すもできないのだからして・・・・。
じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。