さぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れていた。気温は22.3度から29.2度、湿度は78%から58%、風は1mから4mの北北東の風が少しばかり。明日の2日は、寒気の影響で概ね曇りの見込みらしい。
朝方は肌寒いくらいの気温で、湿度も落ち着いてきて、気持ちの良い朝になった。今日の予定は何もない。ただ、奥方がお休みということで、終日、在宅らしい。
さて、本棚を整理していると、こんなものが出てきた。私の若き日の青春詩集である。私の詩集というか、本は、印刷技術の歴史でもある。古い物は右端の「岩木への道」という、青森旅行の紀行文集である。20歳の時の物。新しいのが左端のもので、昭和60年、37歳の時のもの。PPC印刷というゼロックスを使った印刷だった。
会社のお休みの時に、こっそりと「青焼き」という、書類印刷用のジアゾ式の印刷機を使ったもの。薄いハトロン紙みたいな原稿用紙に鉛筆で字を書いて、一枚ずつ、原紙と感光紙を重ねて光線を当てて印刷したもの。これがずいぶんと続いた。
こういうもので、一枚ずつ、機械を通して印刷をした。主に、設計図や竣工図などを印刷するものだった。
休みの日に、出掛けては一冊ずつ、印刷したものだった。
こういう、青春詩集が今の私の原点みたいな気がしている。
その頃の私である。遙か昔・・・という感じ。
その後、ゼロックス社から、PPC式複写機が出た。これで、会議資料やらが何枚でも印刷できたから楽になった。普通紙を使うようになったのも楽になった。
その後、ワードプロッセッサー(ワープロ)が出たが、会社に一台とかで、私たちが使うことはまれだった。その後、オアシスというワープロ機が出て、平成の初めには、個人でも買うことができた。
それで、俳句集を自作することが可能になった。その後、パソコン時代になって、一太郎なんぞというワープロ・ソフトが流行し、やがて、ワードになった。
パソコンが入ると、なんでもかんでも本にしてしまった。
プリンターもレーザープリンターがお安くなって、自由自在に本を作っている。
最近は調査報告書とか、論文集だが、年に一冊程度は俳句集も出している。
今日の掲示板はこれ。「拝む手が とがる世間の 角をとる」というもの。同じ町内の善楽寺さんにあったもの。インド人やネパール人の挨拶は「ナマステー」という合掌である。「ナマス」は敬礼する、「テー」はあなたに・・・ということ。私たちの「南無」は、この「ナマステー」からきたものだという。「右ほとけ 左は我と合わす手の 中ぞゆかしき 南無の一声」とも言って、右手はほとけさま、左は私たち。その両方が一つになって一瞬でもおだやかなこころになってくれればいいがなぁと思うことである。いじめだ、自殺だ、暴力だ、竹島だ、国旗だ、拉致だ、尖閣諸島だ、安保法制だ、再稼働だ・・・とがってばかりいる現代。拝む手で、幾分かでもいいから、角がとれたらいいなぁと思う・・・。
じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。