さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は9.0度から16.4度、湿度は76%から62%、風は1mから2mの西北西の風が少しばかり。明日の6日は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みなのだとか。
今日は穏やかな秋の日になった。今日も奥方は出掛けて行った。
で、あれこれと家事をやったりした後、ガイドブック作りを再開した。A4用紙で印刷されたものを半折りにしてA5版にして製本する。
それに「題箋」を貼り付ける。
こうして一冊の本ができあがる。
で、先日に受注した「観光ガイドブック」と「仏教語辞典」五部ずつができあがった。
こちらが「観光ガイドブック」四部と・・・
「仏教語辞典四部」である。
あと一部は、このバインダー形式の中にガイドブックと仏教語辞典を合冊にしてある。
その内の一部ずつは明日、郵送する。
さて、先日の大窪寺ガイドの時、誰がなんのはずみかで、「いろは歌」のことを切り出した。子供のころにはよく口ずさんだが、あの歌の意味するものは何なんだろう・・ということになった。私が、「人生の無常を詠んだものだ」と言うたのだが、誰も信用せずに、「艶っぽい歌だ」とか、空海さんが阿波の童学寺で詠んだものだなどとうやむやになった。
私は、この四法印とか、雪山童子の「無常偈(むじょうげ)」、「諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽」(諸行は無常であってこれは生滅の法である。この生と滅とを超えたところに、真の大楽がある)の意訳であると勉強したような記憶がある。そういう資料をまとめていた。
すると、暗号説というものも出てきた。「とかなくてしす=咎無くて死す」赤穂浪士四十七士の事だという説があったり、右上の「い」、左上の「ゑ」、左下の「す」で「イエス」の暗号だとか、「かきのもと=柿本人麿」という字が隠されているとか・・。こじつけだろうな。
とか、今月の「大窪寺ガイドチーム」の予定表とか・・・の雑用をこなしていた。
今日の掲示板はこれ。「当たり前と思っていたことが 有り難いと気づかされる」。地震や台風や火災などの災害に遭ってみて、実感するのがこの「当たり前」が当たり前で無くなったとき。水が出ない、ガスが使えない、電気が使えない・・・。いつの当たり前が当たり前で無くなったとき、人は何もできないことのもろさに気づかされる。親がいて当たり前だったのに親がいなくなって知る親の恩・・・。友人がいて当たり前だったのに、友人がいなくなって知る仲間の絆・・・。なくならないとわからないのもまた事実・・・。
じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。