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Channel: まほろば自然博物館
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秋晴れは 雲まで高く 見えるもの

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 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は9.6度から13.7度、湿度は67%から54%、風は2mから6mの西風が強かった。明日の17日は、高気圧に覆われて晴れるけれど、午後は前線や湿った空気の影響で曇り、夜遅くには雨が降る見込みらしい。

 

 今日は天気がいいものだから、五色台の紅葉でも見てこようかと出掛けたのだが、風が強いし、冷えるからか、今日はトイレが近い・・・。とても、五色台までもは我慢できない・・。

 

 仕方がないので、マルナカ屋島西町店のトイレを借りた。「それならば、来月頭のイベント、ルンルン♪源平の古戦場の下見をしておくか・・・」ということになった。

 

 屋島の西側を北上して、今度は東側を南下してきて、この「菊王丸の墓」を見学した。

 

 その近くにあった、マルナカ八栗店でもトイレを三回も借りた。今日は冷えるからか、20分おきくらいにトイレに走った。

 

 これは「総門碑」と言われるもので、八栗停留所北一丁に有り、安徳天皇行在所としてこの門を建てて源氏軍の攻撃に備へたものだが、東軍の占領する所となって、明治36年旧跡保存のために建碑されたものである。

 

 ここは、義経の身代わりとなって佐藤継信が射落とされた場所で「射落畑(いおちばた)」と呼ばれている所。個人管理なので、みだりに立ち入らぬこと・・・という張り紙がしてある。

 

 ここが負傷者が運び込まれたという「州崎寺」である。ここを目前にして、またもマルナカ八栗店まで行き、トイレを済ませてここにやってきた。面倒なことだ。ルンルンでは、ここで何を勉強するんだろう。

 

 この「真念」さんのお墓のことは何も記載がないけれど、ここに来たら、これだろうと思う。この真念さんは、江戸時代の高野聖で、四国霊場を20回以上回って、四国遍路の父とも言われる。お遍路のガイドブックの「四國邊路道指南」「四國偏礼功徳記」など庶民に遍路を紹介する書物を記した。

 

 祈り岩の北西数10歩の川中にある巨石で、潮が引くと頭を出す。石標に「こま立石」とある。那須与一がこの石上に馬を止めて、扇の的を射たといわれている。与一宗高は、下野国の住人で資隆の第11子、射術をよくするので、源義経は衆中から選出して扇の的を射させた。宗高は命を承り、見事扇の的を射て、味方だけでなく敵方平氏からも喝采をうけ、その名を後世に残した。ここを見た後、またもやマルナカ八栗店のトイレを借りた。

 

 その後、六万寺にも寄ってみた。西暦730年、聖武天皇の命令により建造された。源平合戦の際は、行在所と言われる安徳天皇の住まいになっていたというお寺である。ここにも立ち寄って拝観させていただく予定である。

 

 それからはテクテクと歩いて来て、この「道の駅むれ」でランチの予定。私はいつものように、マイカーで伴走するだけ。

 

 その後、またも遍路路を歩いて、86番札所の志度寺さんまで歩く。ここの境内の東端にあるのが、この「覚阿上人霊塔碑」である。 寿永四年(1185)二月十九日、屋島の戦いで平家の強豪能登守教経の強弓に狙われた、九郎義経の身代わりとなって、源氏の四天王の一人佐藤嗣信が忠死した。嗣信の戦死を悲しんだ、九郎義経に召されて引導を渡したのが、当時の志度寺の住職覚阿上人である。引導を渡したお礼として、九郎義経から一の谷、ひよどり越えの合戦にも参加した名馬「大夫黒」と太刀一振が贈られ、その寄進状が志度寺に残されている。

 

  今日の掲示板はこれ。「欠点は直さなくて良い。見方を変えれば個性になる。持ち味になる。味わいになるから。」と云うもの。私たちは自分の「欠点」を嫌い、そのままでは人に嫌われてしまう、と思って、何とかそれを直そうとしたり、隠そうとしたりしてしまうもの。しかし、そういう態度は私たちを完璧主義に仕立て、むしろ、人との間に壁を作ったり、遠ざけたりしてしまうようになってしまう。実は「欠点」そのものが問題ではなく、「欠点をどう扱っているのか?」がとっても大切なことで、つまり、隠すのではなく、オープンに、直すのではなく、受け入れることが大切なことなのである。オープンになれなるほど、その欠点は嫌われることなく、あなたのひとつの個性として受け入れられ、愛されるようになっていくものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


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