さぬき市地方は、冬型の気圧配置となっているため、概ね曇っていた。気温は今季最低の2.9度から7.0度、湿度は76%から59%、風は4mから7mの西の風が強くて冷たかった。明日の14日は、気圧の谷や寒気の影響で、概ね曇る見込みらしい。
南国さぬきでも雪も降るし水も凍る。今日は今季最低の冷たさになった。
山のサルたちも食べるものが減ってきたのか、我が家の周囲に集まってきている。昨日は大根を食べられたと奥方が憤慨していた。
今日は水曜日だということで、県立図書館にやってきた。すっかりとアキニレは葉っぱを落として冬らしくなっていた。
空気が冷たくなったからか、駐車場にも館内にも人影はまばらだった。今回も五冊の本を返却し、新たに五冊の本を借りてきた。ま、習慣みたいなもんだ。
読むか読まないかはわからないが、適当に本を選んできた。
帰ると、仏教語辞典を三部、作ることになった。A5版用にA4版を二つ折りにする。
こうして、三部ができてきた。表紙は、また、明日になるだろうか。
お昼からは民児協の定例会である。今日は夕方から忘年会になるので、会議にも気がそぞろだ。
ま、役所からのお願い事ばかりの会議である。
ほぼ1時間で会議は終わったが、実質は30分くらいなものだっただろうか。私の担当地域には子供が一人もいないので、子供に関することは「耳日曜日」。
家に戻ると、空き缶を回収場へ運んでおく。この空き缶が全部、我が家のもの。来月はお正月があるから、これの倍くらいにはなる。
今日の掲示板はこれ。「折れてみて/初めて見えた鬼の角/折れた思いが/また角になり」というもの。どうにもならぬ苦悩を抱えて、生きる望みを失っている時に、仏の教えに出遇い、仏の教えに生きた詩人の浅田正作さんは、1988年に法蔵館から出版された『念仏詩集・骨道を行く』の中に「自分が可愛い/ただ/それだけのことで/生きていた/それが深い悲しみとなったとき/ちがった世界が/ひらけて来た」と詩っている。この詩を読んだ時、私が今どう生きているのかと、問われていると受けとめた。「自分が可愛い/ただ/それだけのことで/生きていた」という生きようは、私の日常では当り前のことで、そのことが何も問題になることもなく生きてきている。しかし、浅田正作さんは、どうにもならぬ苦悩を抱え、生きる望みを失っている時に、救いの道を求め阿弥陀仏の深い願いに出遇ったのである。仏の願いに出遇うことは、私自身が阿弥陀仏の光に照らされるのである。
じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。