さぬき市地方は、寒気の影響で瀬戸内側を中心に曇っている所があったが、概ね晴れていた。気温は4.8度から9.9度、湿度は80%から58%、風は2mから7mの西の風が一時は強かった。明日の7日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。
天気はいいのだが、西の風が強いので外出はヤメにした。それだし、不要不急の用事もないし。
年末だったか、お正月だったかに、横浜市にお住まいの方から、私の作った本を持っている人がいたが、私にもいただけないか・・とかというお言葉を頂いたような記憶が残る。で、原稿を探し出してきた。
原本は、国立国会図書館にある「塩飽小坂小誌」という本である。
平成26年(2014)の11月に、私のかかりつけの歯医者さんに行った時のことである。「私のお祖父さんの書いた本が見つかったよ」と、歯医者の先生が言った。それが前述の「小坂小誌」である。
それを、丸亀市本島町小坂の中西さんという人が国会図書館からコピーをしてきたのだという。後で聞けば、塩飽史談会の中西さんらしい。人はどこで繋がっているか知れない。が、私は、それをコピーしたまま(原本は返却)になっていた。
本の内容は、塩飽本島町の小坂集落全体の記録であって、いわゆる「小坂騒動」の顛末が中心になってはいたが、漢字カナ交じりの文語体のために、ひどく読みづらい。
それから半年が過ぎた平成27年(2015)3月に、また、歯が欠けて歯医者さんに行ったところ、今度は、その中西さんが現代文に書き直した原稿を頂いた。しかしのかかし、文語体のままだった。これではどうにもならない。
そこで原本のコピーをスキャナーで読み込んで電子化し、それを現代語の口語体に翻訳していく作業になった。これは気の遠くなる作業だった。古い漢字もあったし、変換できない漢字もあった。
さらには画像や資料も取り入れて、同年3月16日に完成し、歯医者さん、中西さん、それに西山さんに限定発行して、この件は「封印」した。
ところがである。2016年6月末になって、広島系の大学教授を名乗る方からメールが飛び込んできて、私の「新・塩飽小坂小誌」がどうしても欲しい・・と仰る。「非売品だからダメだ」とことわったのだが、どうしても欲しいというのでやむなく一冊を送った。お礼に、もみじまんじゅうが送られてきた。
その本が、横浜の人の目に止まったのかも知れない。
さて、郵送しようとして・・・困った。今日から三連休。郵便局は来週の火曜日にならないと動かない・・・。しまった、しまった、島倉千代子。
87番札所の長尾寺では、明日の「大会陽」の準備がされていた。五穀豊穣と国土安穏などを祈念する大法要が営まれ、福餅などが本堂上部から投下される。その後、1月2日につきあげた大鏡餅上下と台の三宝を合わせた約150kgを持ち上げ、歩いた距離を競い合う、力餅運搬競技大会も行われる。この競技は、昔、黒岩という力士がおり、長尾寺の仁王様に祈念して境内の大きな石を持ち上げ、金剛力を授かったことで始められたとされ、百年あまり続いているという。
今日の掲示板はこれ。「生かさるる いのち尊し けさの春」という、町内の善楽寺にあったもので「中村久子」さんの句である。中村久子さんは、1897年、飛騨の高山で誕生し、三歳のとき突発性脱疽に罹り、両手両足を無くされた。中村さんは、その障がいの事実を真正面に引き受けて、人権意識が未成熟で障がい者への差別の厳しい、生きていくのも非常に困難な時代を、女性として、母として、そして何よりも一人の人間として72年の生涯を生き抜かれた。晩年詠まれた「手足なき身にしあれども生かさるる今のいのちはたふとかりけり」に、自己の「身の事実」を機縁として、真実の世界に目覚 めていくという、中村さんの心の軌跡が窺える。 春は、全ての「いのち」をはぐくみ、育てる自然の営みの尊さをひとしお輝かせて見せてくれる。中村さんは、その中に生をうけ、生かされている自らに気づか され、その事実によろこばれたことと思われた。目覚めるたびに今朝も生きているとの確認は、生かされていることの体感であり、実感であったのであろう。そ の体感が苦難の中を精一杯生きる力となったものと思われる。 「今日のことば(句)」は、新しい春を迎え、あらためて人間の存在の真実を考えさせてくれる ものであろう。
じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。