さぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れていたが、気圧の谷の影響で夕方から曇ってきた。気温は3.7度から8.7度、湿度は84%から65%、風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の8日は、気圧の谷や日本海を通過する低気圧の影響で、概ね雨となる見込みらしい。
正月七日も過ぎたら、早くも町では「恵方巻」だの「バレンタインデー」の広告や案内が始まっている。私にすれば、正月2日だけがお正月だったように思えてくる。
借りていた本の返却期日が近くなっていたので、香川県立図書館にやってきた。お隣の「サンメッセ香川」の大駐車場でが、高松市消防出初め式が行われており、沢山の消防自動車や特殊作業車などが勢揃いをしていた。
だから、県立図書館の駐車場入り口にも消防職員が立っていて、出初め式のために駐車場に入らないように警備しているありさま。
館内も駐車場もゆったりとしていた。
で、恒例のように五冊の本を返却して、五冊の本を借りてきた。
さて、今年は明治元年から150周年ということになるらしい。そこで、「英国士官レキ研究会」では、明治元年12月20日に亡くなった「英国士官レキ氏」の150年祭を行うことになった。
これが、英国軍艦シルビア号艦長のH.C.S.John氏からの感謝状である。ここの、1866 という数字が一人歩きして、英国士官レキは慶応2年(1866)に亡くなったとされてきた。しかし、石碑には、「明治元年12月20日」と刻まれている。
式典は墓地ほかでセレモニーを行う予定で、レキ氏の母方の子孫が来日する予定。それとイギリスの研究者、グラハムさんも来日予定。ぜひとも、講演会も実施したいところ。
私は、これまでに書きためてきた、フランク・ツーベイ・レイク氏に関する資料や論文を整理し、これが「英国士官レイク氏」の真相だ・・みたいな本を作れと言われている。そろそろと準備を始めたいものだ。
ま、数年間にわたって調べたものだから、玉石混同状態。どれを残し、どれを整理すべきか・・・が大問題。
英国士官レキ(Lake)は明治元年11月7日死亡 同8日長谷川三郎兵衛より届け出あり。同11日に倉敷県に報告、外務省には11月30日に届け出て受理。新暦では明治元年12月20日。現存するレキの墓は明治四年に建立された。長谷川三郎兵衛は、京の会計官権(ごん)判事に任命された。準判事、仮の判事という意味である。長谷川三郎兵衛は灯台寮の会計官で大坂以西の灯台建設に関わる全会計を担当していた。明治元年、灯明台設置に関する調査中、マニラ艦の19歳の士官が死亡して広島に埋葬された。というのが当時の状況だった。
今日の掲示板はこれ。。「先のことは誰にも分からない でも、今できることを即実行・継続 これが将来を開く」というもの。先のことは誰にも分からないもの。だから、今できることを即実行し、継続する。それはそれでいいことなんだけれども、それが将来を開くかどうかは・・・「先のことは誰にも分からない」のだ・・・。
じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。