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Channel: まほろば自然博物館
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梅散って 三月十日を おもしろく

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 まるで昨日とはまるきり違うのが今日の私だ。眠気などさらさらないし、気分もいい。

 

 私と不整脈のつきあいは永いが、それで困ったことは一つもない。それでも、不整脈を治そうとして、白鳥病院で電機ショック療法をやったことがある。それで、一時はきれいな脈になったけれど、数時間で元に戻ってしまった。

 

 今日も中川Drがオペ時にはきれいな脈になっていたのに、またぞろ、不整脈が現れた・・・というので、退治にかかったが、40年もの不整脈だから強者みたいで、不整脈は退治できなかったみたい。

 

 どの病院にも入院すると、担当医や担当ナースが決められて、ベッドサイド・メッセージカードが貼り付けられる。でも、担当医が変わることはまずないが、担当看護師はころころと変わる。日勤であったり夜勤であったり、泊まり勤務であったりして、誰が担当なのかはわからなくなってしまう。

 

 なにせ、全員が白装束で顔には大きなマスクをかけている。名前を言われても顔と名前が一致しないし、すぐに忘れ去ってしまう。名札もつけてはいるのだけれど、裏返しのことが多いし、ま、看護師の名前を覚えても意味はないし・・・。

 

 声でわかる人もいれば、顔と声、声と名前が結びつかない事も多いし、ま、用事が済めば名前も声も関係ないない話しだ。このフロアにも多くの看護師さんがいるから、実際的に名前などどうでもいいことでもある。だから、一人をのぞいて、ほかの方の名前なんぞ理解しようともしないし、はなから覚える積もりもなかった。

 

 その一人というのが、このブログにもたびたび登場する「ビーバーみずほ」である。本名はどうでもいいので、この名前で通している。奥方に、「みずほが・・」とか、「今日もみずほが・・」と、話をすると、「あの人はみずほじゃくて・・」と、

 

 と、ベッドサイド・メッセージカードを指さした。そこには、いつのまにか、「みずほ」の本名が印刷されていた。確か、入院した時は、そんな名前ではなかったのに。

 

 大きな声やにぎやかな声の多い看護師さんの中で、ぼそぼそと静かに、それでいて的確に話すその声はしっかりと覚えた。やさしい声が印象的だった。こんなに大きくはないが、前歯が印象的で、すぐさま、「ビーバー」が思い浮かんだ。

 

 「みずほ」は、この人にちなんでいる。この、ビーバーみずほだけは、私の大事なポイントには必ずうちの奥方と並んで立っていた。私には不思議としかいいようのない「菩薩さま」みたいな人のような気がする。

 

  今日の掲示板はこれ。「おもしろきこともなき世をおもしろく」という高杉晋作の言葉から。正式には、この後に、功山寺挙兵時に「すみなしものは心なりけり」と、勤王女流歌人の野村望東尼が付け加えたとされている。私達の周囲の世界はただの現象世界であり、そこにはどんな意味や価値判断、意図もない。あるのはただの無為自然でしかない。それにひとつひとつ意味付けをしていくのは、私達一人一人の感覚であり、解釈である、ということを詠んでいるのだと私は思っている。だからこそ彼は、自分のしていることもしてきたことも、世の中が変わろうとしていることも全て、所詮はその程度のものなのだ、と達観したのではなかろうか。例えば、出かけようとした時に雨が降ったからと言って、それで私達は不幸になるわけではない。雨は何も考えてもいないで、ただ降っているばかりなのである。それをどう受け止めるかは私達次第。自分だけに降っているように感じて、こんな時に限って・・と、不運な自分を惨めに思うか、何気なしに今日は家でのんびりせよ、という天の思し召しだなあ~と思って、のんびりとするのか。全く、自分の考え方一つなのである。雨を面白くないと思うか、雨を面白いと思うのかもまた、私たちしだいなのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


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