3月27日(火曜日)
110-62-62 36.3 98% 65.3Kg
さぬき市は春めいていいこころもち。でも、私の心は月夜みたいで落ち着かない気分。尿が出そうで出ない。おなかが張りそうで、張りそうで、それでも尿は出ない。我慢をすると血圧が上がりそう。そこで、午前3時半に起きてしまった。寝ていても寝てはいられない。パソコンを立ち上げてブログの編集作業。
今日は香川医大での検診日である。だから、9時までにいくらのブログが更新できるかだ。13日、14日、15日、16日まで更新できた。
少し早いが午前9時出発。ポチに多めのドッグフードを盛り上げておく。途中の農協さんで、建物共済の掛け金(13万円)。を入金しておく。その後、ドラッグストアで体重計の購入。体脂肪計はペースメーカーには危険だというので、体重だけが測れるものを安く買った。お風呂場には体脂肪計付きのデジタル版がある。
郵便はがき二枚を郵便局で投函しておく。観光ガイドの予定表とわが家の浄化槽の点検依頼表である。
10時10分に医大へ到着。受付もそこそこに、検査の指示書。採血場で採血。心電図室で心電図の測定。最後に胸部X線検査の三点セット。このころは少し動くと「ゼーゼーハーハー」という状況。心臓血管外科の待合室で待つ間にトイレに行くと、正常に尿が出る。何度やっても尿が出る。これは一体、どうしたことだ。我が家のトイレでは立っても座ってもしゃがんでも尿は一滴も出なかったのに・・・。
堀井教授は多忙・・ということで、10時半の予約が11時半に変更。1時間余りも待ったが、その間にトイレに行くと正常に尿が出る。
堀井教授は、私のデータを見るなり、「この週末に何をやったんですか。大変なことになっていますよ」と厳しい表情。「おしっこが出ないんです。ここに来ると正常に出るんですが・・」と言っても相手にはしてくれない。堀井教授に、ここのトイレを一個、持って帰りたいと言ったが、こちらも冗談、向こうも冗談でしか聞いていない。
堀井先生は、心臓の手術をしたのに、胸水が溜まっていることに驚いている。溜まるはずのない胸水が溜まっていると、県立病院の日浦Drからも紹介状が届けられている。「すぐに水を抜きましょう」と言って、胸水を抜く準備をはじめ、600ccの胸水を抜いた。で、「急性腎不全」になっています。あなたの腎臓は壊れそうです。すぐに日浦先生に連絡を取ります」と、相変わらずの激しい表情。
で、「急性腎不全で緊急入院」という情報を、県立病院の日浦Drに紹介状を書いてもらって、会計処理をし、医大病院を出たのが14時を過ぎていた。途中のさぬき市長尾の「元気」というセルフうどんの店でうどんを食べて、114銀行石田支店で通帳記載。我が家に寄って、入院の準備をてきぱきと。前回のものをそのまま掴んで飛び出した感じ。
東かがわ市の広瀬歯科医院へ立ち寄り、医大で折れた歯の修理依頼の紹介状を手渡し。その後、ドコモショップで通信アダプターを注文するが、ああだこうだと、2時間もかかったが、結局、使い物にはならなかった。
途中、文遊館という文具店でボールペンの太いものの赤と黒を5本ずつ10本と大学ノート五冊も買った。そんなこんなで、県立病院に入ったのは16時半。病院側は待ちかねた様子。すぐに三階の心臓病センターの212号室へ入院。この時間帯だから夕食と明日の朝食は用意できないという。そこで、奥方にショートメールの連発。奥方が三割引きの弁当を買ってきてくれたのは20時過ぎ。
あわただしい、永い一日になったことだった。
今日の掲示板はこれ。「困難に挫ける人もいれば 困難で成長する人もいる」というネルソン・マンデラさんの言葉から。「困難に挫ける人もいれば、 困難で成長する人もいる。挑戦を続け、最後の瞬間まで「希望」という武器を振りかざす」というのが元の言葉らしい。 若くして反アパルトヘイト運動に身を投じ、1964年に国家反逆罪で終身刑の判決を受ける。27年間に及ぶ獄中生活の後、1990年に釈放される。翌1991年にアフリカ民族会議(ANC)の議長に就任。デクラークと共にアパルトヘイト撤廃に尽力し、1993年にノーベル平和賞を受賞。1994年、南アフリカ初の全人種参加選挙を経て同国大統領に就任。民族和解・協調政策を進め、経済政策として復興開発計画(RDP)を実施した。1999年に行われた総選挙を機に政治家を引退した。(Wikipediaより)
じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。