4月1日(日曜日)六日目
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花見にはいい天気だ。痛み止めを飲んだが、0時半から30分おきにトイレに急行。朝は6時まで寝ていた。
今日から三月よ・・と聞いたと思うのに、早くも四月一日になっている。今年の1月18日から始まったこの騒動は四か月目に入ってきた。
午前中、奥方と娘家族がやってきた。娘は五月の連休に遊びに行きたいので葬式は勘弁してほしい・・・という。今のところ、葬式は予定表には考えていない。心臓の手術も成功したし、守り刀のペースメーカーも装着したし。この胸水のかたがつけばOKのはず。
孫のなぎちゃんは、高校通学用の自転車を買ったという。入院前に、お祝いのお金を渡しておいた。ヘルメットは?・・と聞いたら、高校生はヘルメットなんぞいらないの・・・とか。やっぱり、自転車だもの、いるやろ。そのほうがカッコいいぜ。
昼過ぎ、外科の環(たまき)先生来室。肺からの排水量確認。明日、このドレーンは外すという。ホースも抜くという。一日にどれだけ溜まって、どれだけが肺に吸収されるのかを確認したので、400ccとか500ccも溜まれば増える一方なのだが、その反面、心臓の手術も済ませているので、そう、多くは発生しないはず。その効果も期待したい。
明日のレントゲン検査を見て判断するが、気胸の空気は止まったはず。液体を抜いて、肺を大きくふくらませば、胸水の溜まるスペースはなくなるはず。とにかく、明日には、このコードは外して様子を見たい・・・とのこと。肺の圧力が強いのか、溜まる胸水の圧力が強いのかの勝負になりそうだが。
池の水を抜いて、肺(水田本体)の部分の土手を修復しているみたいなもの。空気漏れや水漏れのないように、しっかりと土手を修復しておけば、体外へ出しているホースを外しても、肺の中へ水は入らないという考え方。
保険二社へ、入院給付金の手続きを済ませた。はてさて、いくら戻ってくるものやら。高額医療費の手続きもきているのだが、一月の入院費の請求書が見当たらぬ。すぐに奥方にショートメールして探させて。「あったよ~」というので持ってきてもらって処理完了。奥方の手がすいた日に手続きに行ってもらうことにした。(高額医療費の手続きは4/2に処理済)
よく、病院なんかでは、「頑張ってね」とか、「頑張れな」とか言われるけれど、私は頑張ることなんぞしたことがないし、頑張るほどの勇気もパワーもない。全ては、「なすがまま」。生かされるように生きていく。ただ、それだけ。皆さんが、私のために頑張ってくれているような気がする。
仏教では、見返りを期待しないで行う厚意を〈布施〉という。いつでもどこでも誰にでもでき、心で言葉で行動で以てできる〈親切〉のことである。言い換えれば、自分がしてもらって嬉しいことをまわりの人にもしてさしあげるということでもある。例えば、日常の当たり前と思っている些細な事でも「ありがとう」と言うことから始めていく。「ご飯を作ってくれてありがとう」「洗濯してくれてありがとう」「元気でいてくれてありがとう」というように「ありがとう」を積極的に伝えていくのである。つまり〈求める心〉から〈与える心〉への転換である。
ほめれば ほめられる
愛せば 愛される
感謝すれば 感謝される
拝めば 拝まれる
じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。