丸亀地方は梅雨前線や湿った空気の影響で雨が降っていた。気温は21.9度から25.4度、湿度は93%から82%、風は0mから2mの東の風が少しばかり。明日の20日は、梅雨前線の影響で雨が降る見込みで、明け方から昼前にかけて雷を伴い激しく降る所があるらしい。
朝から細かな雨が降っていた。さすがに梅雨だなぁと思う朝。私も奥方も午前5時置き。小雨の中を迷犬ごんの散歩にも行ってきた。
で、朝ドラが終わると(今日は昨日の分と二本立てだった)、丸亀港を目指して走ってきたが、どういうわけだか眠くてたまらなかった。途中で何回か休憩しながら、10時半には丸亀港に着いた。
で、11時10分発の高速艇「ニュービサン」に乗り込んで、しわく広島に向かう。なんだかんだと忙しいことだ。
11時半には我が家に着いたが、ご覧のとおりの草ぼうぼう。でも、私には草刈機が使えないし、今日も明日も雨だから草刈りどころではない。この前に草を刈ったのはお大師まいりのの前日だから5月5日のことだった。一ヶ月と二週間ほどでこんなにもなるのか。
お昼からやってきたのはここ。丸亀市広島町の「広島コミュニティセンター」である。ここは旧の広島中学校跡。ここを、今年の四月から改築改装されて、「丸亀市広島センター」やら消防屯所やらの施設が入っている。
玄関は二つあって、右には「丸亀市広島センター」の入り口が、こちらは住民用の「広島コミニュティーセンター」の入り口である。
さすがに、最新鋭の設備が多用されていて、こういう多目的トイレもある。
この右手には子供用トイレやおしめ交換用テーブルや幼児用テーブルなども設備されている。
そうそう、今日はこういう会議だった。「英国海軍士官レキ氏没後150周年祭」についての最終段階の打ち合わせ会である。慰霊祭の進め方、準備物、案内状、その配布方法、マスコミ対策・・・などなどと盛りだくさん。
この左の方が実行委員長で、真ん中が会長さん。たくさんの資料と展示物の準備もできていた。私が入院をしていた間に、どんどんと準備ができていた模様。
最終打ち合わせは7月中旬にお手伝いやボランティアの方を集めて行うことも決まった。慰霊祭は、レキさんのご子孫が訪問される8月5日の日曜日の午前10時半から。
会は17時過ぎまで白熱した討議が行われて時間切れ。課題は次回に繰り越すことになった。私はさぬき市まで帰るのも疲れるので、今夜は島の家でおとまり。さてさて、安心して眠れるだろうか。
今日の掲示板は軽めにこれ。「ころんだら、起きればよい。」というもの。ころんだら、起きればよい。 鬼塚喜八郎「失敗の履歴書」より。鬼塚喜八郎は、毎年新入社員を前にして、古代から近代へ引き継がれたスポーツマン精神の5か条を、いつも声高らかに読み上げていた。「そして、ここに新たな条項をひとつ、加えたい。」と云って、
「(第六条)
スポーツマンは、ころんだら、起きればよい。 失敗しても成功するまでやればよい。」を、追加した。
じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。