さぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れていたが、夕方からは気圧の谷が接近するために曇ってきた。気温は10.4度から17.4度、湿度は86%から67、風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の19日は、気圧の谷や湿った空気の影響で明け方まで雨が降るが、午後は高気圧に覆われて次第に晴れる見込みらしい。
今日はさぬき市観光ガイド養成講座の5回目で、「へんろ道実地研修」の日である。9時前にさぬき市役所に集合して、貸し切りバスを使って、86番札所志度寺から87番長尾寺を経て88番大窪寺までの「旧へんろ道」を歩きながら道標やへんろ墓をたずね歩くものである。
距離は長いが、多くは貸し切りバスでの移動になる。私は、歩き部分の伴走である。
ま、こういう小型のバスを借り切って、スッタフ含めて12名の参加者だった。
「四国遍路みちしるべ」を著した真念さんが建てた道標が志度寺さんのお庭にある。元はへんろ道沿いにあったものを道路工事の関係でここに移したものである。こういうものを丁寧に解析しながら訪ね歩くのだからたいへんだ。
広瀬公民館脇にある墓地にある「へんろ墓」の説明である。江戸時代や明治初期のころのお遍路さんは行き倒れや栄養失調でよく亡くなった。亡くなったからと言って、みんなみんな、お葬式をしてお墓を建ててくれたわけではない。つまり、懐に大金を持っていた人だけである。
お金をもっていない人や病気持ちの人は葬式もせずに埋葬して笠をかぶせ、金剛杖を突きたてて墓標とされた。病気持ちだと、こっそりと隣の村境まで運んで投げ捨てたという。
お昼は、いつものここで昼食となった。
私にもお弁当が用意されていたが、おなかの調子がよくなくて、半分も食べられなかった。体調はよくないのだが、寝ていてばかりでは気が滅入るばかり。みんなと明るく楽しくやっていれば気分も晴れるというものだ。
今日の先生は、「香川遍路研究会」の渡邉達雄先生。すごくマニアックな先生で、山中にあるへんろ墓までことこまかくご存じなのだ。
とにかく、へんろ道沿いにある石造物なら、お墓だろうが、道標だろうが丁石だろうが調べて調べて調べつくしている。それをお話してくれるのだから、頭の中がぼーっとしてくる。
こうした道端にある「丁石(大窪寺までの距離を刻んだ石)」にも細かな解析がされている。
歴史好きの方には楽しい講座だが、このころになると、飽きてきてよそを向く人も出てくる。この上に、大窪寺に通じる国道があるのだが、紅葉見物などで大渋滞になっていた。
そして、今日のゴールはここ。大窪寺東墓地である。ここに、大窪寺周辺にあったへんろ墓を集めてある。こうして、朝の9時から始まった講義は、15時過ぎになってようやく終わった。一行はまた、貸し切りバスに乗ってさぬき市役所まで帰っていった。私はそのまま自宅へと向かった。
今日の掲示板はこれ。「自分のこころが一番しまつに困る 承知せぬのは自分の心である」という曽我量深先生の言葉からである。本当にあわれみ、かなしみ、はぐくむということは計画しても出来るものではない。自分の心が一番始末に困る。承知せぬのは自分の心である。故に「おもうがごとくたすけとぐること、きわめてありがたし。」思うが如くなるということは世の中は一つもない。世の中は一から十まで思わざる如くに動くのだそうである。(曽我量深『歎異抄聴記』より)
じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。