さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、気圧の谷や寒気の影響で、昼過ぎから夕方は曇ってきた。気温は今季最低の0.5度から10.7度、湿度は84%から68%、風は1mから4mの西の風が少しばかり。明日の2日は、弱い冬型の気圧配置で概ね晴れる見込みらしい。
125/62-74 36.4c-92% 63.4Kg 10287hPa,2c,55% さわやかな元日の朝になった。
今年の年賀状である。
見ればうっすらと霜が降りている。今季初の霜である。
おまけに初氷でもある。今期は暖冬の影響か、霜も氷も今日がはじめて。
空気は冷たいが、まずは朝のお勤めから。「帰命無量寿如来 南無不可思議光・・・」。
今朝の朝食はこんなもの。全く、普通の朝と代り映えしない。奥方は今日もお仕事に出かけて行った。
「一年の計は元旦にあり」ということで、10年日記を参考にしながら、今年の年間計画を考えてみた。しかしのかかし、これが簡単には組み立てられない。自分の計画はある程度できるが、自治会のお仕事や観光ガイドの予定は、総会が終わらないと見えてこないものが多いからだ。困った困った駒澤公園。
10年日記というのは、縦に何月何日が、横軸に年数が刻んである。今年のお正月は、「我が家でのんびり」と書いてある。ここに、何月何日には何をする、何月何日にはどこにいく・・と、仮に予定を書き込んでいくのである。
気分転換に、お天気がいいから和室の窓を開け放ってみたり、
テレビをつけてみたり、消してみたり。お正月の番組もにぎやかなばかりで、考えるヒントにはなりそうもない。
お昼にどうぞ・・と言われても、これではおなかの足しにはならぬではないか。
そこで、仕方なく、ところてんとおかゆになった。やっぱり、これが落ち着くというものだ。
お昼過ぎには年賀状が届いたが、出した半分の枚数ほどしか届かない。ま、これも時代の流れじゃろうか。
今日の掲示板はこれ。一休さん(一休宗純)の歌「正月や冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」はこれで正しいか。 この歌は骸骨の付いた杖をつきながら詠んだものらしい。 ... 門松は冥途の旅の一里塚」は一休の狂歌「門松は冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」によるとなっている。一休の道歌-蜷川親当との道歌問答-に「門松は冥途の旅の一里塚、馬駕籠もなく泊りやもなし」というのが、のちに「正月は(元旦や)冥途の旅の一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし」といわれるようになった、とある。「めでたいのう、めでたいのう。あの世にまた一歩近づいたのだから、めでたいのう。正月に飾られるの門松は、まるで冥土へと向かう道に築かれた一里塚みたいなものじゃ」。このような意味の一句を詠みながら、一休禅師は年が明けたばかりの正月ムードの京の町を練り歩いたという。しかも、手には竹竿を持ち、その竿の先に人間の髑髏(しゃれこうべ)を刺していたというのだから驚愕である。現代でこれをやったら、すぐさま通報されて逮捕されるに違いない。でもだ、誰もはっきりと自覚したいとは思っていないだろうが、正月を迎えることは、それだけ死が近づいたということを意味している。死というものが大袈裟で実感が湧かないというのなら、「老い」に置き換えてみてもいい。誕生日を迎えるということは、一つ老いたということ。「誕生日 ケーキに差された ロウソクは あの世に向かう 一里塚 めでたいことだが めでたくはなし。
じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。