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Channel: まほろば自然博物館
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今を問う 過去忘れずに セミの声

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 今日の午前中は少しばかりしのぎやすかった。そういうことで、近くの畑に「ひまわり」を見に行ってきた。遠く・・「まんのう町帆ノ山地区」までには行きたくないもんで・・・。

 

 もう、そろそろと、ひまわりも実が熟してきて・・・頭が下がって来るころかな。もう少しは元気でいられるのかな。

 

 田んぼのイネもすっかりと穂を出して花を咲かせ出してきた。お盆過ぎには稲刈りが始まるのかも知れない。確かに確かに生き物たちは確かに歩みを続けて居るなぁと感心してしまう。それに対して、なんと怠惰な私であることか・・・。

 

 ということで、今日も朝昼兼用のおうどんになった。さぬきでおうどんを10時に食べようと思うとお店探しに苦労する。その多くが午前11時きっかりというお店が多いからだ。それだから、今日はここのお店に寄った。

 

 さぬき市志度の「こがね製麺所・志度店」おなじみのお店に決めた。ここも安くて早くておいしいお店。

 

 で、おろしぶっかけ小の冷やで280円。それに野菜サラダを付けて合計380円。今日も健康的なおうどんになった。

 

 それはさておき、昨日に続いて「屋島」のあの登山鉄道が気になっていて・・・。ま、明治初期まで、人の移動というのは徒歩が当たり前だったが、やがてには駕篭(かご)や人力車、乗合馬車から電車に移行してきた。屋島の屋島寺におまいりするのも徒歩で登るのが当たり前だった。それが・・・大正時代にはカゴ屋が登場したらしい。今もこんぴらさんにはカゴ屋さんがいる。

 

 塩田の浜子たちが余暇を利用したり副業でやっていたらしい。団体客になると、タイコを打って浜子を集めて老人婦女子を乗せて山道を上り下りしたそうだ・・。太った男性の場合には先導してヒモを引っ張って上がったり、杖で後ろから支えながら昇ったりもしたそうな・・・。

 

 昭和になって、登山鉄道ができて、数分で山上まで上がれるようになったのは画期的なことやったんやなぁと思う。その反面、カゴ屋組合の猛烈な反発もあったらしい。これは昭和初期の写真らしい。山には線路ができているし、途中に電車も見えている。土産物屋や食堂も普通のありふれた建物でやっている・・。左手前のご婦人はケーブルカー目指して歩いているんだろうか・・・。このころのお出かけというと着物だった・・・。

 

 この登山口駅前の風景と、駅舎の建物が、今のものとは少し雰囲気が違うように思った・・・。

 

 少しばかり改造をしたんだろうかね。そういえば・・・。

 

 この建物入り口脇の円い窓に違和感が・・・。で、調べてみたら・・・。

 

 当初には二階へ昇る階段がなかったんだ・・・。やはり、あちらこちらを改造しながらやってきたんだろうね。 そんなこんなを調べていたら・・・。

  

 あの「二十四の瞳」の映画のロケもやっていたんだ・・。それで、ようちゃんばあばが「二十四の瞳みたい」と書いていたのか・・・。うむ、良き時代やったんやろうねぇ・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。夏になればこれだな。過去は今を問い、今は過去に尋ねるもの。過去を風化させてはならぬ。核もも原爆も戦争も・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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