さぬき市地方は朝方は晴れていたが、湿った空気の影響でやがて曇り、昼過ぎから夜のはじめ頃にかけて雨や雷雨となる所があるらしい。気温は25度から29.5度、湿度は88%から74%、風は2mから5mの西南西の風が少しばかり。明日の24日の香川県は、引き続き、湿った空気や上空の寒気の影響で概ね曇る見込みらしい。
116/78/84 36.4c-96% 64.8Kg 1006hPa,28c,66% 体調は相変わらずである。同じようなものを食べ、同じようなものを飲み、同じような生活をしていたら、同じような体調は続くばかりだ。
という訳でもないが、今日は火曜日ということで、はるばるとはるばると、高松市亀水(たるみ)町にある瀬戸内海歴史民俗資料館にやってきた。通称「れきみん」である。
ここの中庭に、このような道標がある。後ろの看板に書いてあるように「真念の道標」である。
という道標である。大切な道標を、資料館に保存するのはどうかと思うが、これまた、大切な「資料」なのかも知れない。
五色台の「根香(ねごろ)寺」の近くの山中にあったものである。歩き遍路は根香寺から打ち戻り、オレンジパークから山を下って岩田神社に向かって行く。次の札所は83番一宮寺である。
本来、道標はその場所にあってこその道標であるが、道路事情とか宅地の改良とかで邪魔になって打ち捨てられることもある。これはさぬき市志度にある86番札所志度寺であるが、この山門向かって右隅にも道標があったらしい。それが事故か偶然かで倒れて久しかった。
それがこの、武田徳右衛門の建立した道標である。「是より長尾寺へ一里半」と読める。
その場所が、この納骨堂前で、ここにも久しく放置されていた。
この面には、「享和元年酉八月 願主 豫州越智郡朝倉上邑徳右衛門」と刻まれている。この少し弧を描いている石材が、その昔、お堀にかかっていた橋である。お堀は、現世とあの世を遮る三途の川を意味していた。俗に三途川の名の由来は、初期には「渡河方法に三種類あったため」であるともいわれる。これは善人は金銀七宝で作られた橋を渡り、軽い罪人は山水瀬と呼ばれる浅瀬を渡り、重い罪人は強深瀬あるいは江深淵と呼ばれる難所を渡る、とされていた。その橋を意味していた。
その道標が近年に納経所入り口前に移設されていた。
これが志度寺の境内図である。ま、こういう移転ならば仕方あるまいというか、ありがたい移設であると言わねばなるまい。
さて、今日は「大暑」。大暑は、二十四節気の第12。一年中で一番暑い時だとされている。現在広まっている定気法では太陽黄経が120度のときで7月23日ごろ。暦ではそれが起こる日だが、天文学ではその瞬間とする。期間としての意味もあり、この日から、次の節気の立秋前日までである。
いよいよと、夏本番になってきそうな天気予報である。
今日の掲示板はこれ。「斯(こ)う居るも 皆骸骨ぞ 夕涼み」という小林一茶の俳句である。いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。文化七年、48歳の頃、「七番日記」執筆開始。帰郷して遺産交渉するも不調。11月、成美宅に滞在中、金子を紛失し、5日間足止め。「大江戸や芸無し猿も花の春」「故郷やよるも障るも 茨(ばら)の花」遺産相続で疲れた。故郷の人々は茨の花のように棘を刺す。「蝶飛んで我が身も塵のたぐひ哉」一茶は蝶に我が身を重ねることが多い。塵のようなつまらない人生だったか。「斯(か)う居るも皆骸骨ぞ夕涼み」こうやって生きてはいるが、死ねばみな骸骨だ。「ちる花や已(すで)におのれも下り阪」散る花のように、人生50を前に、何もなしえていないのにすでに下り坂か・・・。反省ばかりの一茶であった。
じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。