さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇り、昼過ぎから夜のはじめ頃にかけて雨や雷雨となる所があるらしい。気温は25.5度から31度、湿度は90%から78%、風は1mから2mの東北東の風が少しばかり。梅雨明けしたというのに、依然として蒸し蒸しとした一日になった。明日の26日の香川県も、湿った空気の影響で概ね曇る見込みらしい。
121/80/66 36.4c-96 63.8Kg 1008hPa,25c,88% 朝方は気持ちの良い朝になったので少しばかりドライブをしてきた。
右目の白内障が進んできたので、広い通りは恐ろしいので山道ばかりを選んで走っていると、突然、鹿が飛び出してきた。
で、あっという間に山陰に消えていった。そうそう、最近はペアの鹿が出没するらしい。
ふと、思い出したのだが、こうしてお遍路さんが読経するとき、特にお大師堂なんかで、「ご法号を・・」ということで、「南無大師遍照金剛・・・」とお唱えする。その時に、私はお宗旨が違うものだから、「なんまんだんぶ・・・」とお名号(みょうごう)をお唱えする。すると、決まって「うるさいな!」みたいなことで睨み付けられる。
私の白衣は「南無大師遍照金剛」ではなくて、「南無阿弥陀仏」のお名号が入っている。だのに、なぜ、場違いなように思われてしまうんだろうか。
いつだったか、「あなたの知らない大窪寺」というイベントがあった。その時に、ガイドさんが、「空海さんは、南無阿弥陀仏をお唱えしとったんよ。空海さんは「南無大師遍照金剛・・」なんてはいわなかったんですよ」という説明があった。それはそうだなぁと思った。自分で自分のことを「南無」とは言わないもんだし、そういうのは、後世の人が言い始めたことだったし。
いつしか、真言宗では「南無大師遍昭金剛」と言うようになったし、日蓮宗では「南無妙法蓮華経」とお唱えするようになったし、浄土系では「南無阿弥陀仏」が主流になった。
前にも触れたが、空海さんが「南無阿弥陀佛」を信仰していた・・・というのは確かにあった。なお、和歌としても「空海の心のうちに咲く花は弥陀より他に知る人はなし」とあって、これは東寺の巡礼歌である。四国路においても、この歌は流布した。
今ではお名号と言えば、浄土宗や浄土真宗の特権みたいに思われていたが、高野山にも「念仏聖」は大勢いたし、南無阿弥陀仏を唱えて歩く人たちもいた。『般舟経』には、「三世の諸仏は、弥陀三昧を念じて等正覚を成ず」と説かれているそうで、大日如来が阿弥陀如来のお力によって仏のさとりを開かれた、ということは、大日如来の先生が阿弥陀如来だということらしい。
ま、つまらんことかも知れないけれど、、空海さんも最初は「南無阿弥陀仏」を称えしとったんだよなぁ・・」ということあでる。
今日も湿度が高くて、呼吸困難になって、昼食後はよだれをタラして寝てしまっていた。天気予報によると、まだしばらくは、今のような晴れたり曇ったりの日が続くらしい。
今日の掲示板はこれ。「念仏は悩みをなくすのではなく 堂々と悩んでいける道である」という曽我量深先生の言葉からである。妙好人といわれた庄松さんはまさしく安心して悩むことができる道を見出された。「(悩みを)持ったまま」「邪険という角を持ったまま」、安心して堂々と悩 んでいける道しか、私たちがすくわれる道がないと仰せになったのは法然上人さん。そこには、いのちを我が物にして苦しんでいたことから解放された法然さん の喜びがある。思いどおりにならない状況のなかに、実は光輝く世界があるもの。法然さんは、「真宗の教えは立派な人になっていく教えではない。人間は愚か であるがゆえに、はかりしれないいのちからの呼びかけを常に聞いていかなくてはならないのだ」と言われている。この呼びかけを忘れて、自分の思いにとらわ れてしまうのが凡夫とよばれる私たちのあり方なのであろう。
じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。