さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は27度から33.2度、湿度は92%から62%、風は1mから5mの東の風が少しばかり。高温が予想され、熱中症の危険が特に高くなる見込みなので、暑さを避け、水分をこまめに補給するなど、充分な対策をとるよう呼びかけている。明日の5日の香川県は、午前中は高気圧に覆われて晴れるが、台風第8号の影響で昼過ぎからは曇り、夜は雨の降る所があるらしい。
116/78/65 36.4c-96% 64.8Kg 1010hPa,28c,45% 昨夜も熱帯夜で蒸し暑くドライモードで寝たが、朝方も湿度が高くて息苦しかった。
今日はさぬき市の「観光ガイド養成講座」の開講式だったが、奥方から外出禁止令が出たためにお休みをした。
ま、私たちは「駐車場案内係」くらいなもので、私が行かなくても問題は無いだろうということになった。
今日も讃岐地方は「真夏日」ばかりだ。
さて、お遍路さんの「白衣」であるが、これは昭和33年ごろのバス遍路になってから流行した・・・という結論に達したのだが、大正年間に四国遍路をした「高村逸枝」は白い衣装を身につけている。だから、江戸時代から昭和に至るまで、何人かの人たちは、こうした白い衣装をしていたことになる。
つまり、こうした人たちが四国にもやってきていたということになる。
それが、この、「笈摺(おいずる)」というものである。
昔の山伏や修験の行者たちは、こういう「笈(おい)」というものを背負っていた。このつるや紐が肩に食い込んで摺れるので、ベストのようなものを羽織ったことに由来するという。
それが転じて、袖なしの白衣を「おいずる」と呼んでいる。これは、本来は、西国三十三ヶ所参りの衣装だったが、その姿のままでお四国を回ったという例はたくさんある。納め札調査でたくさんの納め札が残されていた。
今日のお昼は冷やし中華にした。錦糸卵などは別売りのものを買った。
さて・・である。昨日、苦心して返送用の封筒印刷をしたのだが、ふと、気がつけば、データーが古いまんまである。ま、これでも届くのだろうが、相手さまには失礼である。今は「大川郡」などない。
仕方がないから、全部、やりかえになった。なんたるこっちゃ、サンタルチア。
今日の掲示板はこれ。「出発は足下からなのに ひとはすぐ頭で歩こうとする」という平野修先生のことば。私達はものごとを起こすとき、ああだこうだと理由やら事実を並べ上げてからでないと行動を起こしたがらない。よく言えば堅実型というか理論武装型というか。悪く言えば、単なる「あたまでっかち」なのかも知れない。本当に歩き出すのは足の筋肉からなのだが、そのことには気づいていなくて・・・頭が先に行動してしまう。平野先生は、1943年(昭和18年)石川県に生まれる。大谷大学大学院博士課程修了。九州大谷短期大学教授。石川県松任市(現白山市) 真宗大谷派明証寺住職。1995年9月27日示寂。著書に 『浄土の問題ー世界と聚りー』(金沢教区教化委員会)、 『鬼神からの解放ー化身土巻ー』(上・下)(難波別院)、 『浄土論註講義ー論註の基礎ー』(一・二)(六道会)、 『民衆の中の親鸞』(東本願寺)『教行信証に学ぶ』(東本願寺)など多数がある。
じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。