高松市の東部郊外にある三木町地方は気圧の谷の影響で曇っている。気温は3度から9度、湿度は82%から66%。風は1mから2mの東の風が少しばかり。今日の17日の香川県は、日本の南を進む低気圧や前線の影響で曇り、昼過ぎには雨となる見込みらしい。
103/65/80 36.3c-100% 64.5Kg 1008hPa,12c,66% 体調は安定している。脈拍の80は、ペースメーカーの設定値。
さて、今回の入院騒動も、はや、一か月が過ぎた。最初の県立病院が12日、ここ、香川大学医学部付属病院の1F-ICU(救急救命センター)で4日間、3FのICU(集中治療室)で4日間、今の3F-CCU(心臓血管センタ)で12日間になる。合計、32日間である。
前半は、苦悶・苦闘・混乱・狂乱の時期。奥方までもが私のおばかさん度が進んで「死」を予想した時期。個人の死を考える時期だった。私も夢と現実が交錯する不思議な世界を体験した。
そこへ現れたのが「反撃の女神」こと、「ビーバーみずほ」という看護師さん。昨年の私の「担当看護師」で、呪術や魔術を使うわけでも、政治力を発揮するでもない。ただ、そばでニコニコとしているだけなんだが、事態が一気に変化する。事実、彼女が何をしたわけでも、誰かに依頼したわけでもない。
そして、生きるか死ぬかという場面の私を、今日の14時には一般病棟に転室させようとしている。もちろん、ドクターのおかげであることは間違いない。さまざまなドクターやICUの看護師さんの応援と支援のおかげであることはわかっている。要はタイミングなんだろうというか、偶然性なんだろうが、そこには必然性もあるように思うのは、おばかさん度が進行しとるせいかも知れぬ。
実は、この症状、10年前からあった。「おなかが張る」「おなかが重い」「座って食事ができない」「食欲がない」「体重ばかりが増えて困る」「おしっこが出ない」「トイレでも尿が出ない」・・・でも、どこのドクターも解決しようとはしなかった。大腸に異常はないとか、泌尿器では問題を前立腺肥大で処理してしまった。内科のDrは「内臓脂肪です」と相手にもしなかった。それを今、解決しようとしている人たちがいる。
今回の件の結論も仮説もその後のことも、まだ、説明はない。今後のことも聞かされていない。でも、私は生還しようとしている。一般的には「おめでたい」ことである一般病棟への転室。数字的にも問題はない。ということで、私の個人的総括を述べてみただけのこと。
今日の掲示板はこれ。「なんとかなる なるようになる なるようにしかならない 心配するな」というもの。一休和尚が弟子たちに残したとされる遺言が『大丈夫、心配するな、何とかなる』というものだった。トンチで有名な一休禅師のお話。 一休禅師が亡くなる直前に弟子たちに、「この先、私が亡くなった後、本当に困り果てた時、これを開けなさい。それまでは絶対に開けてはならない」と巻物を遺して亡くなった。何年か後に、寺に大問題が持ち上がり、寺の存亡の一大事になった。弟子たちは、知恵の限りを尽くしたけれど、妙案を思いつかず、どうしようもなくなった。そのとき、一休禅師が遺してくれた巻物のことを思い出して、恐る恐る紐解いてみると、その巻物にはこう書かれていた。『大丈夫、心配するな、何とかなる』。それを見た弟子たちは、あっけにとられ笑い出した。ほどなく、一休禅師がまるで見透かしていたかのように、どうしようもないと思われていた寺の問題は、見事に解決してしまったと言う。ただ、医学では、そういうことは理解されない。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。