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Channel: まほろば自然博物館
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石楠花の山静かなり寺ひとつ

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 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は12度から23.6度、湿度は86%から62%、風は1mから3mの北東の風が少しばかり。明日の9日のさぬき市は低気圧や前線の影響で曇り、夕方からは雨の降る所がある見込みなのだとか。

 

 102/58/78 36.4c-96% 62.6Kg 体調に全く変化は無い。おなかの痛みも腸の痛みもない。ただ、草刈りなんぞの影響か両足が重い感じがするが、腫れやむくみは一切無い。

 

 今朝の朝食である。たまごの汚れはマヨネーズによるもの。今日も奥方は早出の早帰り。17時過ぎには帰宅する。あとわずかしかない。

 

 昨日のトンボに気をよくしたのだが、今日の蝶は悲惨なもの。うまく色が出ないのには焦ってしまった。また、明日のリベンジだな。

 

 今日は下の弟(三男)のたっくんが草刈りに来てくれた。島の家でも、いつも御世話になっている草刈りおじさんである。

 

 ここは、昔の村道、町道だったところ。今は我が家の西に舗装された「さぬき市道」が通っているために、昔風に言えば「払い下げ」になって、我が家のものになっているらしい土地だ。ここを弟はあっという間に刈り払ってしまった。

 

 県道から見れば、こういう感じ。私が元気になったからと言って、これだけの草刈りはまだまだ無理だ。

 

 そこで、お礼の意味で大窪寺に行ってきた。今日は観光と信仰を兼ねた親子連れがぽつんといるばかりだった。納経所も今月10日まではお休みになっているらしい。お遍路さんの姿は全くない。

 

 実に静寂に満ちたいいお寺さんである。

 

 で、弟のおせったいのために、おうどんを食べることにした。門前の「八十八庵(やそば・あん)」である。このお店の前にある「お接待所」というのぼりやのれんがあるが、四国ではお遍路さんは大師様と同じと考えるため、お接待は「大師様への功徳」のためとされている。また「自分の代わりにお参りを託す」という意味もあるため、時にはお賽銭など現金を渡されることもある。道筋の小さな休憩所から、うどんやお菓子、お茶などを出してくださる接待所、ほかにも善根宿や通夜堂など、お接待にはいろいろな形があるが、決してサービスでも施しではない。

 

 で、今日は草刈りをして暑かったし・・・ということで、この団蔵うどんを食べることにした。六台目市川団蔵さんが、「こんなうどんは今までに食べたことがない。 はじめて、うどんの味がわかりました。」と感嘆したことから市川団蔵さんを偲んで「団蔵うどん」と名前をつけたという。

 

 「〝老醜″で団蔵の名を汚したくない」。晩年は、そのことばかり考えていたようだ。そして、引退興行の千秋楽の日、こんな感想をもらした。『これがすんだら、重い肩の荷が一度にスーッとして、いい気持でしょうね』」という。また、六代目菊五郎の狂歌に「永生きは得じゃ 月雪花に酒 げに世の中のよしあしを見て」があるが、団蔵は、これをもじって「永生きは損じゃ 月々いやなこと 見聞く憂き世は あきてしまった」という狂歌をつくり、また、周りの人にも見せていたという。

 

 「我死なば 人に迷惑 かけるなよ 仏頼まず さらば地獄へ」と、さらりと言ってのけた。そして旅の途中に、この歌を「我死なば 香典受けな 通夜もせず 迷惑かけず さらば地獄へ」と変えたとも話したという市川団蔵さん。おへんろさんはいろいろな想いで歩き続けているのである。その後、団蔵さんは小豆島発の連絡船から身を投げて瀬戸内海の波間に消えてしまったのである。そんなお話しのある「団蔵うどん」であった。

 

 その後、八十八庵の背後にある山に入ってみた。今の時期には、こうしたシャクナゲが咲いている。その数は2、000本とも言われている。もう、時期を過ぎたからか、入園券もいらずに自由に見学できるとのことだった。ご婦人二人が物珍しそうにしていたので、。「シャクナゲを見に行きませんか」と誘ったけれど、「山を歩くならいいです・・・」とお店の中に入ってしまった。

 

 先の連休の間が見頃だったのかも知れない。花はもう、終わり頃のように見えた。

 

 こういう花が見放題だ。それを、おじいさん二人だけが見るというのは実にもったいない話だ。

 

 若い頃、福島県の「アルペンローズ」という電子掲示板(BBS)システムの仲間と知り合って、何回か、福島を訪問したことがある。そのときに、「石楠花(しゃくなげ)」という言葉を覚えた。そのシャクナゲを「アルペン・ローズ」と言うことも知った。

 

 なんだか、男二人だけにしては実にもったない時間だった。

 

 今日の掲示板はこれ。「病気を治すのがお念仏の御利益ではない どんな病気をもむだにしない心がお念仏の御利益である」という太田祖電のことばから。お念仏とは「おまじない」や「呪文」ではない。お念仏を称えても病気を治したりお金持ちになったりはしない。どんな病気になっても、生かされているこの私の生き方を、無駄にしないことというのを思い知るのが念仏のありがたいこころなのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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