さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は23度から31.2度、湿度は92%から42%、風は6mから1mの西の風が一時は強かった。明日の17日のさぬき市は、引き続き高気圧に覆われて晴れるが、夕方からは気圧の谷や湿った空気の影響で次第に雲が広がる見込みらしい。
98/56/78 36.4c-96% 61.4Kg 体調に変化は無い。おなかの痛みもほぼ消えた。眼もしっかりと見えている。だからと言って健康体では決して無い。
さてだ。昨夜、いきなり花火が上がった。昨夜、さぬき市の「みろく自然公園」から、60発のサプライズ花火が打ち上がった。奥方が「あ、花火・・・」と言うので、「そんな、バナナ・・・」と、北の窓を見ると、確かに花火が上がっていた。昨年は台風で、今年は新型コロナウイルス感染拡大のため、2年連続中止となった「みろく納涼夏まつり」の花火。毎年この場所で花火をあげられている花火屋さんからのプレゼントとして、この企画が立ち上がったもの。3密を避けるべく一般の方にはお知らせしていなかったらしい。
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今朝の朝食である。これまた、代わり映えがしない。しかしのかかし、この当たり前こそが尊いのである。病院に入って、つくづく思い知らされた。
さて、これが新しいパソコン群であるが、幾つものパソコンを使っていると、「あ、あのデータがない」とか、「あ、このデータが欲しいのに」ということがよくあることだ。そこで、「One-Drive」というアプリで、クラウド上のドライブを共有している。つまり、右からでも左からでも、「One-Drive」にアクセスすると、同じ物が共有できる。しかしのかかし、それ以外のデータは共有できない。そこで、特殊なケーブルで結んで、一つのマウスで二台を一台のように使えるようにしてある。
つまり、右のPCの必要な画像をコピーして、左のPCのフォルダーにペーストすれば、画像の転送ができる。つまり、二台のPCの間で、コピー&ペーストが簡単にできてしまうのだ。もちろん、マウスも一台、キーボードも一台で二台を操作できる。
だから、ファイルでも、テキストでも、右から左へと移動もコピーも自由自在に操作ができる。これはありがたいことなのだ。「あ、あの書類・・・」とか、「あのファイルが欲しいのに・・」ということはよくある話じゃないか。
今日の昼食である。これまた、代わり映えしないが、こういう食事が大好きなのだ。どうにも、お肉やお魚や豆やほうれん草なんぞは苦手で食べられない。
さて、眼も見えるようになったし、おなかの痛みも消えたし・・・ということで、大窪寺門前の「八十八庵(やそばあん)」の裏山にある「あじさい園」に行ってきた。
先日の新聞記事らしい。このあじさい園を始まられた45年前から、旧長尾町の町花があじさいだったことから、地元の役に立てればと初代店主が始めたもの。以来八十八庵のスタッフがほぼ毎日仕事の合間に、あじさいの手入れを行ってきた。
種類は、ニホンアジサイとガクアジサイの二種だが、その数に驚かされる。
まだ病み上がりということもあって、途中でリタイアして戻って来た。歩き慣れないこともあって、足が思うようには動いてはくれない。
昨日が年金支給日。入退院を繰り返していたもので、ようやくにほっと一息ついたところ。
今日の掲示板はこれ。「念仏しても食えんかもしれんが、念仏せんと食べたもんが無駄になるぞ」というもの。ある老母が息子に向かって言った言葉であるという。この前日に、息子は母に対し「念仏しても食えんじゃないか」と言い放った。母は息子のその言葉に一晩思い悩んだ末、この言葉を絞り出すように訴えたそうだ。私たちはこの息子の気持ちを否定できない。念仏しても何の役に立つというのか。答えられる大人は少ないだろう。念仏がはたして飯のタネになるのか。実はその疑問こそ愚かなのだが、ついついそう問いたくなるほど、念仏は一見、か弱く頼りないように感じる。
しかし老母の言葉に胸を打たれるのもまた事実ではないだろうか。「食べたもんが無駄になる」とは、つまり自らの人生が空しく過ぎてしまうことだ。誰しもが一度きりの人生を大切に充実して生きたいと思いつつも、日々の出来事にとらわれ、ふと「このままでいいのか」という漠然とした不安、不可解な思いにさいなまれるもの。「無駄になる」と言われれば、その重みにどきりとしてしまう。・念仏がわかる、わからない以前に、そもそも日頃の不安の元が何かもわからぬくせに、安心ばかりは自分に解りやすい、安易なものを求める姿勢に、現代人の苦悩の源があるように思う。念仏は理屈ではない。解ってから称えるつもりなら、理解する前に人生が終わってしまうことだろう。
じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。