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Channel: まほろば自然博物館
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宴会の後片付けに夏至暮れる

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 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は18.5度から26.4度、湿度は86%から72%、風は1mから4mの東の風がそよそよと。明日の22日のさぬき市は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 108/72/78 36.1c-96% 60.8Kg 昨夜は23時過ぎに寝て、今朝は5時前に起こされたので、やや睡眠不足気味。飲んで食べたので、今朝の体重を気にしていたが、さほどの変化でもなくて一安心。ややセーブ気味だったのかも知れない。

 

 さて、昨夜の夕食会のメインはこれ。「冷やしおでん」というものだった。いつも草刈りに来てくれる「たっくん」の作である。こういうのは初めて食べて驚いたが、

 

 れっきとした料理らしい。ま、夏場に熱いおでんは食べられないというものだし、夏場に鍋料理でもあるまいし、バーベキューにも飽きた頃らしい。

 

 サブメニューがこの新鮮なお造りである。瀬戸内海の新鮮なお魚は食べ飽きて居るのだが、魚がいいのか、調理法がすぐれているのか、この味と食感にも驚いたものだった。さすがに皆さん、味にはうるさいらしい。お店を選べば、こんなおいしいお魚も食べられるという。

 

 これが昨日のメンバーで、弟二人と娘家族二人の四人と、私たち夫婦二人の六人というすっきりとした夕食会になった。

 

 ところが・・である。いざ、カラオケタイムになると、メンバーがバラバラになってしまう。というのも、このリビングの中央に、私のベッドとパソコン卓が居座っているからである。

 

 昨年の宴会では、こうして、畳の間とリビングがつながっていて、みんなでカラオケを楽しめたし、

 

 畳の間だけでも、これだけの人たちが集まって会食ができた。ま、この家を建てた時の基本コンセプトに、こういう発想があったためである。

 

 ところが、今年の2月下旬、医大附属病院から戻ると、歩けない、座れない、階段が昇れない・・・ということから、二階から、こうしたデスクとかを下ろしてきたのだが、これで、団らんの座が分断されてしまったのである。

 

 そこで、弟たちから、「元気になって歩けるようになったし、階段を昇れるようになったんだから、デスクやベッドを二階へ移動するように」との注文が付いた。これでは友人も呼べないし、カラオケも楽しめない・・・というのである。

 

 こういう位置に、パソコンデスクが居座ったのでは楽しみは半減どころかなくなってしまうと言う。だから、明日の22日の午前中に、介護用品の業者さんに来てもらってお話しをすることになった。私にすれば、ここの位置が一番便利で安全なのだけれど。

 

 かと言って、私の心臓病が治った訳ではない。心臓病は治るどころか「死への坂道」を転がり始めているのはどうしようもない。ただ、それを気にすることも無く、食べて歩けて運動も出来て、草刈りや選定作業などの軽作業はどうにかできる状態にある。そのかねあいが難しい。

 

 ベッドの移転は業者さんにお願いできるが、パソコンやデスクやプリンターなどの機材は弟たちにお願いして移動するほかない。はてさて、明日の打ち合わせがどうなるものじゃろうかと。

 

 今日の掲示板はこれ。「お釈迦様を嫌いな人もいた 「誰にも嫌われたくない」なんて思わなくていい」というもので、東京・原宿にある日蓮宗のお寺さんの掲示板からである。確かに過去の資料を見てみると、お釈迦様やそのグループが迫害を受けた歴史が残されている。そのような経験を踏まえた上で、お釈迦様は『法句経(ほっくきょう)』の中で、次のような言葉を残されている。

 ただ誹(そし)られるだけの人、またただ褒(ほ)められるだけの人は、過去にもいなかったし、未来にもいないであろう、現在にもいない。(『法句経』228)

 お釈迦様のおっしゃるように、褒められ続けて一生を終えることができる人などこの世にはいないし、周囲の評価に一喜一憂しても仕方がないといえるだろう。同じ『法句経』にはこのような言葉も残されている。

 一つの岩の塊りが風に揺がないように、賢者は非難と賞讃とに動じない。(『法句経』81)

 確かに、自己と他者の問題を明確に区分することは大切である。他者の問題(他者からの非難や称賛など)に関しては諦めて、自分の問題に集中することができれば、雑音が入らなくなり、生きやすくなることは間違いないだろう。一方で、自己と他者の問題を混同して苦しんでいる人が大勢いる。それは他者の問題だと分かってはいても、他者から非難され続ければそれが気になってしまい、心が折れそうになることもよくある話。お釈迦様は、自分を憎んで非難してきた人たちに対して実際にどのように接したのだろうか。

 もし罵る者に罵りを、怒るものに怒りを、言い争うものに言い争いを返したならば、その人は相手からの食事を受け取り、同じものを食べたことになる。わたしはあなたが差し出すものを受け取らない。あなたの言葉は、あなただけのものになる。そのまま持って帰るがよい。(『サンユッタ・ニカーヤ』)

 この言葉を読む限り、相手に全く惑わされないお釈迦様の毅然とした姿勢が伺える。他者の問題を明確に区分し、対応しない。これが無駄な苦しみを断つ最善の策だと分かっておられるからこそこのような対応をとられたのであろう。「嫌われる、嫌われない」は他者の問題であるから、それを気にしすぎても仕方がない。「誰にも嫌われたくない」なんてしょせん無理な高望みなのだから、できる限りマイペースで生きていきたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


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