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Channel: まほろば自然博物館
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あれやこれ梅雨の晴れ間の散歩道

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 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、夜は気圧の谷の影響で曇るらしい。気温は20度から27.6度、湿度は88%から60%、風は1mから2mの南南西の風が少しばかり。明日の23日のさぬき市は、高気圧に覆われて晴れるけれど、明け方まで気圧の谷の影響で曇る見込みらしい。

 

 108/68/81 36.2c-98% 59.8Kg 体調に変化は無いし、おなかの痛みもすっかりと消えた。眼の方もすっきりと見えている。耳も低音は聞き取りづらいが、高音はやかましいくらいに聞こえている。

 

 さて、今日は月曜日ということもあって、自治会長のお仕事である。

 

 毎年の事なんだが、「社協:社会福祉協議会」の会費を集めることになっている。むろん、いやな人は出さなくてもいいのだが、私どもの自治会では一戸500円ずつの計算で自治会費から出資することになっている。だから、JA(農協)さんで預金を引き出して、社協の事務所に納めてきた。

 

 我が家に戻ると、奥方が歯医者さんに虫歯の治療に出かけた。そこへ介護設備の保守担当の方がベッドの点検に来た。そのついでに、ベッドの移転先を見てもらった。この正面の窓際である。丁度、長椅子が置いてある位置である。幅1mに長さが2.1mだから、長椅子くらいなものだ。

 

 そこへ、このベッドが収まるはずである。ちなみに、ベッドの頭部分は逆になる。

 

 へてから・・・、この椅子の部分にパソコン卓が以前には置かれていたから、その元位置にテーブルを置いてパソコンを乗せる。

 

 こういう感じで、去年並に戻してしまおうとしている。乗せるパソコンは大型の物が乗る予定。こういうノートパソコンはゴミになってしまう。でも、ベッド移動は、ケアマネさんの許可をもらわないと動かせないという。だから、業者さんから、私の担当のケアマネさんに連絡を取ってもらうようにお願いした。

 

 11時半過ぎになって奥方が歯医者さんから戻って来たので、町内のうどん屋さんでの昼食になった。本当は高松市内のうどん屋さんを予定していたのだが、歯医者さんで遅くなったので、近場のうどん屋さんに飛び込んだ。こういうお店だから、12時を過ぎたら行列になる。そこまでしておうどんを食べたくはない。

 

 私は「おろしぶっかけ小の冷や」をお願いした。310円だった。久々のお店だったのだが、おなかが空いていたからか、あっという間に食べて済んだ。奥方はいつだって、どこだって、「かけの小」である。

 

 その後は、奥方のお気に入りの「ふーずらんど」という業務用食材のお店に行ってきた。奥方は気に入ったお店だと、そこばかりに行く習性がある。ほかにも業務スーパーはたくさんあるのに、ここと決めたらここばっかり。

 

 業務用だから一つ一つが大きいし量がある。それでもお安いとかでここばっかり。

 

 私はもっぱらカート押しと荷物持ちと支払い担当・・・。あ、それに運転手もだ。だから、私はちっとも楽しくもないし、愉快でもない。ただ、黙って付いて歩くだけである。支払いになって驚いた。一万円札でおつりは数十円だけ・・・。明日の病院代が・・・(泣)。

 

 今日の掲示板はこれ。「この花散らすも雨と風 この花咲かすも雨と風 雨と風とがなかりせば 花も散るまじ咲きもせじ」という与論小唄の歌詞らしい。雨と風によって、無残にも花は散るけれど、この雨と風がなかったら、花が開くのを見ることもないのである。花にしてみれば、なんと無情の雨か、憎い風かと怨(うら)みもしようが、またそのおかげで多くの人々から愛(め)でられ、誉(ほ)めそやされる、花として誇らしく咲くことができるのではないか、と受け取り方の妙味を唄った歌であろうか。
 ある人が吉野山にお花見に出かけた。あまりの花の見事さについつい見とれて道に迷い、途方に暮れて一夜の宿を求めてさまよううち、一軒の民家を見つけた。これ幸いと戸を叩くと、家の主人が細めに戸を開けて、「お気の毒ですが、お泊めするわけにはまいりません。前に旅人を泊めたところ、夜中にその旅人が強盗に居直って大変な被害を受けました。それ以来、この村では、どなたであれ一切他人を泊めないことに申し合わせをしました。まことにお気の毒ではございますが、外の軒下なら結構ですからお使いください。夜露ぐらいはしのげるでしょう。莚(むしろ)なら裏にございます」と、中に入れてくれない。夜は更けてくる。花冷えで四月とはいえ夜は寒い。その上ひもじさも加わって、何とも情けない気持ちで軒下でむしろをかぶったが、どうしても寝つかれない。このまま一晩過ごすしかあるまいと、ふと空を見上げると、折しも月がおぼろに夜桜の上にかかって何ともいえぬ風情である。この感動を忘れぬうちにと一首書きとどめた。「宿かさぬ  人のつらさを情けにて  おぼろ月夜の花の下臥(したぶし)」(もし家の中へ入れていただいて一夜の宿りをすれば、このおぼろ月夜の花の宴には会うことができなかったであろう。今の今まで、宿を貸してくれない人の心の薄情さを怨んでいたが、そのお蔭でこんな素晴らしい月と花との出逢いがあったのだと、むしろ家の主に感謝の気持ちで一杯になったのだよ)との、いわば転迷開悟の境地であろうか。何事によらず、マイナス指向は人を絶望の淵に誘(いざな)うが、プラス指向で前向きに、善知識に捉(とら)えていくならば、人は希望の丘に立つことができるのだという教えであろうか。花の命は短く「三日見ぬ間の桜かな」で愛惜(あいせき)のうちに花は散っていく。いや愛惜というのも人間のはからいで、花は無心に咲いて無心に散っていく。無始無終のいのちの中で、花は「永遠の今」を無心に精一杯燃焼させている。一瞬、一瞬に全生命を生き抜いている。咲くべくして咲き、散るべくして散り、しかも次代を背負うタネを結ぶべくして結んでいく。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


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