さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は24.5度から32.4度、湿度は96%から76%、風は1mから2mの北北東の風が少しばかり。明日の5日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。
血圧92/59/脈拍78 体温36.1c-酸素濃度96% 体重59.6Kg 室温26.7c-湿度81%-気圧1012hPa 体調に問題はないが、なぜか足がしびれるような神経痛のような、使い痛みのような、それでいて重たい感じ。むくんでいるとかではない。
今朝の朝食であるが、特段の話題性もない。
これは我が家で採れた紫蘇の葉である。これを葉っぱと軸とに分けておいてね・・と、奥方は出勤していった。これだけの紫蘇をどうやって分けるというのかえ。
なんでも、梅干し用の紫蘇らしいが、梅干しなんてわずかしかないのに、どれだけの紫蘇を摘めばいいというのか。このあたりで指が痛くなってやめてしまった。
今日は久々に「市民病院」の眼科の診察日。術後二ヶ月目の検診である。右目の白内障の手術を受けたのが5月の27日のことだった。それから二ヶ月ちょっと。
入り口にはこのようないかめしい看板が・・・。最近、また、香川県内でも患者さんが増えたとかで慎重な病院側ではある。
9時前には眼科の受付をすませたが、予約時間の9時30分にならないと診察にはならない。
その間に、こういう「オートレフラクトメーター」検査(近視や遠視、乱視がどの程度あるのかを他覚的に測定したり、PDといって目と目の間の距離を測定したり、角膜曲率半径(角膜の曲がり具合)が分かったり、調節機能がどの程度あるかも測定出来る優れもの)や、
おなじみの視力表検査(ランドルト環表)があったりする。視力は右眼で1.2だった。これで充分らしい。ドクターの診察でも「順調で眼はきれい」らしい。次は一ヶ月後の9月3日である。この三ヶ月検診が終われば無罪放免になるらしい。
で、今日のお昼はこれ。さんまの大根おろし煮冷麺と野菜サラダ付きである。ミョウガは裏庭のミョウガ畑から採ってきたもの。
一人用だと一個でも良かったかなぁと思うことだった。
お昼からは所属寺院へ行ってきた。毎年恒例の、今時のお願いである。病院の担当ドクターからの診断書を添えての本山宛ての文書である。
本堂前にあった松の木が枯れてしまったので、なんとなくさみしくなった所属寺院である。
ということで、私はこのお寺の衆徒(僧侶)として登録されている。
こうして見ると立派なお寺である。この右のほうに、
この庄松(しょうま)同行の銅像がある。(同寺HPより)https://shokakuji-kagawa.com/
今日の掲示板はこれ。「夏たけて 掘の蓮(はちす)の花見つつ 仏のおしえ 思う朝かな」という昭和天皇の御製のお歌である。夏の訪れと共に、毎年思い出して胸を詰まらせる、昭和天皇の辞世のお歌として知られている。不治の病に苦しまれた晩年のある日、静かに詠まれたこの一首が 最後の辞世の歌となった。遠い昔には尊いお方様(天皇)の力によって、神社とお寺が建てられ、家庭では神様と仏様をそれぞれお祀りしてきた。歴代天皇は国家精神の中心として、国家統一と平和の確立のために外来の儒教や仏教とのおおらかな融合の努力を続け、すべての異文化を日本文化として同化する風土を生み出した。皇室の宗教は「神道」であるが、仏教にも深い関心を寄せておられたことがうかがえてほほえましい。ご存じの通り、天皇家は皇宮神道の宗家本元。その家元さんが蓮の花を愛でて、お釈迦様の教えを改めて知った・・・というお歌を詠まれている。キリストさんがお釈迦さんの説法に感激した・・・みたいなことだ。実に謙虚で誠実な人柄が偲ばれるではないか・・・。私たちにもそんな謙虚さや誠実さがあるだろうか・・・。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。