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Channel: まほろば自然博物館
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露草もうなだれている午後である

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 さぬき市地方は湿った空気の影響で概ね曇っていた。気温は25.0度から32.8度、湿度は96%から72%、風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。夕方から夜のはじめ頃にかけて雨や雷雨となる所があるらしい。明日の9日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 102/58/78 36.3c-98% 60.2Kg 29.9c-59%-1009hPa 立秋を迎えたというのに、まだ、梅雨時期みたいに湿度が高くてむぅ~とした感じが残って、どうにもやる気が出てこない。

 

 8月8日は何の日だろうかと調べてみたが、取り立てての記念日でもなんでもない。7月7日や9月9日がなんだかんだといわれのある日になっているのに、8月8日は何もない。いや、パパの日だ、パチパチでそろばんの日だ、たこの足が8本だからタコの日だとかと寒ぅーぃダジャレ記念日は並んでいるのだけれど。そこで正真正銘88である「四国霊場88番札所」へ行ってきた。土曜日だというのに閑静な境内である。

 

 ここはまさしく「ソーシャル・ディスタンス」にふさわしい場所だなぁと感じた。社会的にも人間的にもさっぱりと距離を置くようなところである。

 

 これは「原爆の火」。75年前の8月6日、アメリカ軍が原爆を投下した広島の焦土でくすぶっていた火が、全国各地に伝えられたうちの一つである。火は静かに非核平和を訴えている。高さ約2メートルほどの塔に、小さな火がともっている。これが灯されたのは1988年という。今も福岡県八女市星野村で灯り続ける火から移された。村出身の山本さんという男性が45年夏、広島の焦土を親族を捜して歩き、くすぶっていた火を形見として懐炉にうつして持ち帰り、戦後ずっと守り続けたものだという。その山本達夫さんの原爆の火を、大窪寺の檀家さんである真部さんが懐炉の灰に火を移して持ち帰ったものが、この原爆の火である。明日が長崎の原爆忌。静かに合掌してきた。

 

 大師堂では、「ここが初めてのお寺なんです・・」という若者が慣れない手つきでろうそくを灯し、線香に火を付けていたので、やさしくお作法なんぞを話してあげた。

 

 お参りのついでに、8月8日発売の88番大窪寺マスクを受けてきた。当然、ここだけにしかないマスクである。

 

 今日は冷麺である。いつものイワシの味噌煮・野菜冷麺と野菜サラダ付きである。肉や魚はアレルギーがあるので、このイワシの味噌煮ならば安心だと、最近はこればっかりになってきた。

 

 ま、見てくれはよくないが、私一人だけの食卓だからかまわない。

 

 食後には、この紫蘇ジュースをいただいた。奥方自作のジュースである。原液1に対して水が2という割合いで薄めて飲んでいる。

 

 食後は、昨日に引き続いてブログの過去ログからワードに落としたものを整理する作業である。私の今年の闘病記の素材である。

 

 こういうワード文書を、文字をMS-Pゴシックの12ポイントに変換しながら、画像を5分の1に縮小していくという根気の要る作業である。

 

 こうして、闘病日記の10月分から今年の3月分までは整理が終わった。今度は、この日記の日付を降順(31,30,29・・・)から昇順(1,2,3・・・)に並べ替える作業が待っている。ところがである。2月18日にノートPCが壊れてから自宅に戻って落ち着くまでの2月27日までのログがない。更新できなかったのである。さて、これをどうするのか・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「あるがままに生きる ないがままに生きる」という荒了寛さんのカレンダーの中のことばから。全てのものは、ああしよう、こうしようという主体性をもって生まれて来たわけではなく、「自然に」生まれて来たのである。全ての対象は自分も含めて観察するべき対象というよりも観察されるべき対象と言えるかもしれない。観察できる主体はどこにもない。あると思っているだけである。日本人は自然にまかせて、 あるいは自然と同化してあるがままに生きるということを脈々と実行してきたのではないだろうか。また日本文化に大きな影響を与えた仏教の縁起説では(物事の発生と展開)において、全てのモノに「自性がない」ということがある。そんな難しいことを言わなくても、あるだけの食材で生きる。なければないで、なんとか食べて生きるのである。今の現代に於いては、なかなかに、こういう生き方は難しいのだが、要するに「財布の中身と生き方」とは関係するように思う。財布の中に余裕があれば、「あるがままに生きられる」し、財布の中身がさみしくなれば、「ないがままに生きる」しかない。わが家の今月もまた、「ないがままに生きて行くしかない」のである。

 

 じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


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