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Channel: まほろば自然博物館
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山里に目に余るほどの百日紅

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 さぬき市地方は、湿った空気の影響で概ね曇っていたが、やがて晴れて気温が上昇してきた。気温は28度から36.0度、湿度は78%から58%、風は1mから6mの南南西の風が一時は強かった。明日のさぬき市地方は、湿った空気の影響で曇り、昼過ぎからは断続的に雨となる見込みで、雷を伴う所があるらしい。

 

 116/63/79 36.2c-95% 60.8Kg 27.3c-80%-1005hPa 全く体調に変化はない。だけども、「元気になった」とか「健康体ですね」とか「すっかりと治ったんですね」という状況下ではない。ただ、あかあかとロウソクの火が燃えさかっているだけで、いつ、なんどき、無常の風が吹いてきて、やがてには、その火も消える。

 

 そんな中での悪あがきである。今日も隣町にある「市民病院」に行ってきた。いつもは満杯になる「身障者用駐車場」がガラにもなく、ガラガラである。で、そのひと区画に車を置いた。私も一応、身障者なのである。

 

 で、眼科の三ヶ月検診である。受付標を置くと同時に検査室に呼ばれた。

 

 この、気球の画像検査は、「オートレフラクトメーター」といい、これを使用すると、近視や遠視、乱視がどの程度あるのかを他覚的に測定できる。ほかにも、PDといって目と目の間の距離を測定したり、角膜曲率半径(角膜の曲がり具合)が分かったり、調節機能がどの程度あるかも測定出来る優れものらしい。

 

 その次に、一般的な視力検査には、Cの形をしたランドルト環を使って行われる。左右ともに、1.2という判定だった。良いとか悪いとかの判定ではない。見えるか見えないかの検査である。

 

 細隙灯顕微鏡検査では前眼部(角膜・結膜・水晶体など)を拡大して診察する検査を行う。あごを診療台にのせておでこをつけて、顔を固定し、眼を拡大して観察する検査になります。「細隙灯」というのは細い光のことで、この細い光を斜めから入れることで目を立体的に捉えやすくなり、眼の中のレンズである水晶体の厚みや角膜から水晶体までの距離などを測定する。で、これで、白内障手術後の検査は全て終わって、治療完了となった。

 

 今朝の朝食である。それよりも、右上の新聞紙が気になった。奥方が職場の友人からもらってきたものらしい。

 

 丸亀市沖のしわく広島で、岡山からの家族を招いて筏作りをやったらしい。この絵だと「青木海岸」かな。なんとも危なっかしい筏だが、ま、お遊びだからこんなものか。でも、新聞ダネにするようなお話でもなかった。

 

 海賊気分たって、こんなイカダの海賊ではすぐに海に投げ込まれてしまいそうだが、海のお遊びだからと読み流しておいた。

 

 そうそう、PCの中を掃除していたらば、こんな画像が見つかった。これが大窪寺の本堂の写真らしいが、確かに、右の方に菅笠やお杖、床下にはギブスや松葉杖なんぞが奉納してあったような気がする。でも、お遍路さんが全員白装束だから、昭和の40年頃なんだろうか。これは大事な証拠尾写真だなぁと大事に保管した。

 

 今日のお昼は「サンマの蒲焼きとおろしぶっかけうどん」小と野菜サラダ付きである。マンネリと言えば「一人だけの阿波踊り」、ワンパターンと言えば「犬の卒倒」。おいしく食べるのが一番だ。

 

 で、今日は、私の「おなかが張る」という症状はいつから起きたのか・・・という資料収集をやっていた。過去の記録、日記、ブログをひっくり返して、平成28年2月中旬からというところまで追い詰めた。日にちも2月25日ということだった。

 

 だが、あくまで「心不全」「腹水滞留」という治療になり、「利尿剤」の調整になっている。利尿剤でおなかの水分を追い出そうとする治療法だった。

 

 だが、その後は、香川医大での心臓弁膜症手術やペースメーカー植え込みなどという、少し方向違いの治療法に切り替わり、その後はずっと、「胸水滞留による呼吸不全」という方向で治療が進んできたから、おなかの張りは一向には治らない。それが四年間も続いてきたのだから苦しい毎日だった。

 

 それはさておき、今日の掲示板はこれ。「次、生まれ変わったらこうしたい・・・とか言う人がおるけど、次はないよ」という、辰吉丈一郎のことばから。「今生(こんじょう)」という仏教語がある。ボクサーらしい「根性」ではない。意味は、「この世に生きている間」ということ。生まれ変わりの思想を持っている人は、「次に生まれ変わったら」と言いながら、今生でやる事を先延ばしにしている事があるようだ。でも、今生の自分は、今生にしかいないのだ。今の自分は、今ここにいる私しかいないのだ。だから、次はないのだ。あの世でとか、天国で待ってる・・とかの夢物語はないのだ。今生で「こうしたい」という事は、今生の自分がやる事を、辰吉丈一郎はすすめてくれているのだ。自分のろうそくが燃え尽きて終わればそれだけだ。確かに代わりとなるろうそくや人はいるかもしれないけれど、今生のこの私はもういなくなるのだ。だからこそ、今を精一杯、生きるしかないではないか。

 辰吉丈一郎(たつよし じょういちろう/1970年5月15日-/男性)は、岡山県倉敷市出身のプロボクサー。「浪速のジョー」の愛称で親しまれた人物であり、50代日本バンタム級や第18代・第24代WBC世界バンタム級王者に輝いた。ボクシングファンであった父に幼少の頃からボクシングを仕込まれ、中学卒業後に「大阪帝拳ジム」に入門。1987年(当時17歳)で全日本社会人選手権バンタム級で優勝を果たす。アマチュア通算成績は19戦18勝(18KO・RSC)1敗。1989年にプロデビュー。1990年に4戦目で日本王座を獲得し、1991年に国内最短新記録(当時)となる8戦目で世界王座奪取に成功。2015年には次男の辰吉寿以輝がプロボクサーとしてデビューを果たした。(参考文献・出典:ウィキペディア

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


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